そのころの家には、例の蓄音機と白黒テレビと、父が自慢にしていたソニー製のラジオがあり、父はもっぱら短波放送で競馬を聴いていて、それを私は枕元に置き、朝早く目が覚めたときには聴いていたわけで、とてもバッハを聴くという状態には無かった。そこで、私は新聞のラジオ欄をよく調べることにした。
すると、さまざまな番組欄の中に、バッハと言う文字は見つけられなかったのだが、クラシックコンサートとか、モーツアルトとかベートーベンなどの文字が目に飛び込んできた。
私はそれらの番組を聴いていれば、必ず、いつかはバッハに出会えると考え、勉強の合間に、親の目を盗んでは、イヤホンでそれらの番組を聴くことにした。
今からもう40年くらい前の話だ。NHKのクラシック番組や、新日鉄アワーなんてのを、それこそ雑音一つも聞き漏らすまいと聞き入っていた。
このように、クラシック音楽を聴き始めてみると、当初のバッハ探しはどこかへと消えてしまって、次から次へと耳に入る音楽が楽しくてたまらない。そんな思春期の始まりの中で、とりわけ印象に残っているのが、ピエルネ作曲バレエ組曲「舞姫シダリーズと牧羊神」だった。
今でも覚えているのだが、NHKのクラシックコンサートの番組で、記憶に誤りが無ければ、指揮はジャン・フルネで、もちろんNHK交響楽団の演奏だった。アナウンサーの「ピエルネはドビュッシーと同じころに生まれ。。。」今でもその最初の口上を覚えている。
何しろ、初めてクラシック音楽を聴くのだ。何の経験も先入観もないものだから、有名作曲家や大作曲も、めったに聞かれない作曲家も、自分にとっては同じものだから、選ぶということなく、かたっぱしから聴いいてみては、自分に気に入るかどうかで好みを決めてたから、つまらない評論に毒されることが無くてよかったように思う。
ただ、不思議なことに、クラスのほかの生徒のように、グループサウンズやフォークソングあるいはポップスなどには興味を示せなかったのはなぜなんだろう。今から思うと、歌詞が邪魔だったのだと思う。つまり、純粋に音階の積み重ねによる音楽が心地よかったのだと思う。それゆえ、フーガなどのポリフォニック音楽が頭の中に広がるのがたまらなく良かったのだと思う。
そんなある日、新聞の番組欄に、バッハの文字を見つけたときにはうれしくてたまらなかった。私は早速、メモ用紙を用意したのだが、そこにはNHKFMと書いてあった。
思わず、「あ」と声を漏らした。通信教育で学んだ知識が頭の中をよぎった。それは、FM放送はAM放送と違い、より広い周波数の音を送ることができ、さらにステレオ放送も可能で、音楽の聴取に適しているのだが、それを受信するためのラジオが高価であるということだった。
私は、父の自慢のラジオを持ち出して、その性能を調べた。そのラジオは実に高性能で、中波のほかに短波放送が2バンド切り替えで受信することができる。つまり、アマチュア無線の交信も聞くことができるし、海外の日本向け日本語放送も聴くことができる優れものだったのだ。
いちるの望みを持って、私はそのラジオについているボタン、切り替えスイッチ、周波数スケールを調べつくした。しかし、FM放送は聴けないということがわかったのだ。
私はとても悲しかった。目の前の新聞にはバッハの文字がある。その放送は1時間後に迫っている。しかし、目の前のラジオでは聞くことができない。私はそっと、新聞をたたみ、その音楽欄を見なかったことにした。
その日は、悔しくてなかなか眠ることができなかった。その日はあいにく、どの放送局もクラシック音楽の番組が無かった。私は悲しくて悔しくて枕もとのラジオのダイアルをぐるぐるまわしながら選曲の針を行ったり来たりさせていた。
すると、突然クラシック音楽の演奏が耳に入ってきた。たぶん、誰かの交響曲なのだろう。記憶の中をたぐると、ブラームスかチャイコフスキーの交響曲だったように思う。私はバッハとはまた違う趣の、どちらかというと、映画音楽に近い雰囲気の音楽に思えた。
演奏が終わると、突然英語のアナウンスがはじまった。その内容はさっぱりわからなかったが、番組の終わりを告げる音楽がとてもロマンチックなものだった。後に、それはFEN(現在のAFN)放送で毎日夜中に放送されるクラシック音楽の番組であることがわかり、テーマ音楽は、確かラフマニノフのピアノ協奏曲2番だった。