中学校は、住所によって決まる、地元の公立中学校に進んだ。自宅から中学1年生の足で約15分離れていた。
中学校に入ると、身体検査やらガイダンスがあり、その後には各クラブ活動の勧誘が待っていた。私は迷うことなくアマチュア無線部に入ったのだが、同時に学校放送局の勧誘ポスターが目に入ったのだ。
その中学校では、通常のクラブ活動のほかに、生徒会活動と学校放送局活動の二つがあったのだ。つまり、クラブに所属していながら、さらに生徒会か放送局に所属できるのだ。生徒会役員には立候補しなければならないが、放送局は志願さえすればよい。
私は少し迷ったが、結局見学に行ってみたのだ。木造校舎の階段を上がった2階に、その入り口扉があった。どきどきしながらその扉を開くと、そこにはとても中学校とは言えない世界があった。
その扉の向こうには大人びた上級生たちが勢ぞろいし、なにやら会議をしていた。壁には吸音材の白いボードが貼ってあり、大きなスピーカーが据え付けてあった。さらに、機械室やアナウンス室が二重のガラス窓をはさんで見えたのだ。
私はすっかり、そのようすにしびれてしまって、直ぐに局員登録をした。私の理科と音楽の中学校生活が始まったのだ。
その放送局でのスタートは技術部副部長というものだった。右も左もわからない中学1年生がいきなり肩書きを持つ。なんか急に大人になったようで、妙にくすぐったく晴れがましい感じがしていた。
そのときの技術部長は3年生で、私から見るとスーパースターだった。何しろ、半田ごてを手に持ち、ラジオだろうがアンプだろうがどんどん修理したり作ってしまう。その助手をしながら、きっと私もそうなるんだと奥歯に力が入ったものだった。
放送局に入って何日かしたとき、いつものように部屋に入っていくと、大きなスピーカーからはじめて聞く音楽が流れていた。それが、バッハ作曲管弦楽組曲第2番だった。
はじめて聞くその曲は、いくつものメロディーが重なっていて、とても心地よかった。私はスピーカーの前で動けなくなってしまった。
バッハと言うのはこんなに素晴しい曲を作る人なんだ。私はもっとバッハを聞きたいと思い、学校を後にした。