ひとはみな | 清水千可のブログ~36℃の想い〜

清水千可のブログ~36℃の想い〜

キリスト教大好き、スピリチュアル大好きな風変わり人間の私の日常、思いを綴っています。

私のブログを

訪ねてくださって

ありがとうございます


ある方から

ご提案を

頂きました


私なりに

よく、祈り

我(利己的考え)を

捨てて

考えました


その答えです

考えている時

ふと、ある歌の

一部が頭の中を

流れました


頭に流れた

歌詞をかきますね

なにげない、心のふれあいが

ぬくもりをつれてくる

ひとはみな ひとりでは

生きてゆけないものだから

(中村雅俊さんの「ふれあい」)


キリスト教を信仰していても

神様が愛してくださってる。と聞いても


じゃあ、ひとりで

生きていけるのか?と

問われたら

それは、NOでしょう


ひとり暮らしを

していても

ひとと一言

あいさつをかわすだけで

心が温かくなるものです


相手がひとじゃなくても

猫でも、犬でも、植物でも

話しかけて、

触ったりすると

元気をもらえたり

心が落ち着いたり

するものです


道を歩いていて

思うのですが

名前も知らない

小さな花に

目的地まで歩く

元気をもらうことも

しばしばあります


宗教が、宇宙が

全ての悲しみ、苦しみ

悩みを取り除いて

くれるとは限りません


ひとりで神様と

向き合い

祈り、癒やされることも

ありますが


やはり、ひとは

ふれあいを求めます


ひとりになりたい時も

あります


でと、いくら

神様に祈っても

寂しさから

開放されない時が

多いのです

(私の体験ですが)


本当になにげない

心のふれあいが

癒しと慰めと

平安を

心に与えてくれるのです


なにげない心のふれあい

それは私は愛だと

思います


愛は全てをおおうのです


神様は愛です

でも、神様は

目に見えません

見えないからこそ

神様は植物や動物、人間を

造られたのでは

ないでしょうか


人はひとりでいるのは

よくない。


聖書にもそう

書かれています


幼い頃の心の傷も

ひとりでは

癒せません


愛を失ったら

愛を受け取ってなかったら

愛に枯渇したら


あなたはいかがですか?


時に愛は

厳しい顔で

あらわれることも

あります


でも、愛は

永遠に生きるのです


この世を去った人の

笑顔を思い出すだけで

心にぬくもりが

やどることがあります


なにげない心のふれあい

それは自分自身の心との

ふれあいもあります


愛はふれあいによって

力をはっきすると

思います


私の知人で

本当につい最近

愛犬とご主人に

先立たれた方が

いらっしゃいます


その方が

癒やされているのは

愛犬やご主人を

通して知り合った

人達であり、犬達なのです


ふれあい、

なにげない

ふれあい

大切だと

思わされる

2024/04/29なのです


最後までお読みくださりありがとう🙇


あなたを愛しています❤️


あなたに神様の祝福あるように✴️


あなたの存在にありがとう🍀