a meal glad ~YUMMY~ -4ページ目

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妻の母の用事で栃木に向かった私は、一晩過ごせれば良いと思い車中泊することにしましたが、夜の外気が-5度だった為エアコンを付けっ放しにもいかなく成り、急遽ネカフェに移動しました。

 

時間がもう遅かったのですが、寝水を飲んで横になりました、時間は午前1時半頃でした・・・

 

暫くしてから携帯のバイブの振動で起き、表示を見たら 母の病院の入院階からの表示…

 

保留にも出来ずに小声で出てみると、

 

「〇〇サンのご家族の携帯でしょうか?」

「はいそうです」

「〇〇サンの血圧の数値がとても低いので、今から病院の方に来られますか?」

「え?チョット今私、栃木に来ていて…」

「そうですか、血圧の数値が測れなく為る時があるので…」

「……???」

「宜しければ奥様に連絡しても宜しいでしょうか?」

「はい、お願いします」

 

と言い電話を切った後少しボーットしたまままた転がってしまったのですが、頭のなかで…

?    ??  

やばい???  

やばくねー??????

 

と思い起こし、慌ててネカフェをチエックアウトし妻に電話したが、繋がらず・・・

 

病院の入院階に連絡した所妻は病室に来ているとの事で、連絡して貰えるようお願いしました

「大丈夫?」

「うん今は落ち着いている」

「すぐ戻るけど、着くのは6時頃に成ってしまう…」

「大丈夫、…  お姉さんに連絡した方がいい?」

「そうだね、連絡する」

「私がするから、慌てず戻ってきて…」

「有難う、解った」

 

道中は、余り覚えていないが…何とか病院に着くことが出来入院階に行くとロビーの長椅子に甥っ子が寝ていたので、私のジャンパーを掛け病室に入ると、妻と姉が母の脇にいました。

 

「血圧の状態が戻ったり、下がったりしているけど、今は落ち着いている」

「有難う、… 急だったねー」

「さっき担当医が来て、お昼位までが……と言われた」

「…… … … わかった」

 

親戚…と言っても、早朝という事と母の兄弟は足が悪く、すぐ来ることが出来ないので、医者の言う、お昼まで様子を見ることにした。

妻と姉はしきりに母に声を掛け、その度にモニターの数値が上がることを確認していたが、

私は・・・

何も出来なかった・・・

 

暫くすると病院内が、夜勤から日勤に代わり、朝食の時間・朝の問診等が始まり、その後 担当医が来た

 

「かなり呼吸も浅く血圧も不安定な状態なので、もってもお昼頃かもしれません」

「判りました、もし可能で有れば病室の移動が出来ますか?」

「確認します」

 

と言われた、私は急だった為姉と妻に一時帰って(家など)準備して昼位までに戻って来くれば良いと告げた。

母の兄弟には連絡をしたが、やはり急な事も有り直ぐにはと言われ後日病院に来てくれるとの事だった。 妻と姉が、一時帰宅した後、看護師が病室に来た時、

 

「お部屋の移動を聞いたのですが、その際万が一のことがある可能性がありますが・・・」

「お願いします」

 

少し強引かも知れないが、もし部屋の移動の際何か有ったら私が…と言う思いと、もしかしたらひ孫(外孫)

に逢わせることも・・・  と考えてしまい決断しました。

 

数時間後、別部屋の準備ができたので移動に成りました、結構大掛かりな状態でベット周りに4人機材等に3人看護師さん等が付いて移動しました、無事移動が済みました。

同階の特別個室です、応接ソファー・トイレ・シャワー・クローゼット等が有る部屋でした。

 

お昼前に妻が戻ってきて、ビンカの鳴き声(吠えないので、マッサージ時の鼻息)を録音してくれて聞かせると、体は動かないが目や機材の数値が反応し、 

「あっ!!!!!、、解るんだね」

と話していた所姉がー戻ってきて、甥っ子と、ひ孫と姉旦那が一緒だったので母の近くに行き声を聞かせると同じように反応しました。

 

担当医(医院長)の見解の正午過ぎた頃看護士が来てバイタル等を図った…

 

呼吸ー少し落ち着いている

心拍ー正常

血圧ー安定している

血糖値ー通常食事並みの数値ポーン

 

母…恐るべし・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

初冬

 

手術から暫く経ちました、一般病室に移りはしましたが抗菌?無菌?仕様はそのままの状態です、しかも前のベットには、同じ手術をした患者さんもいます、むろん面会の家族の方も手袋・エプロン姿です。

 

時折弱音を吐きながらも、管からの栄養を少しづつ取っている母、

 

 

 

ある日胸が痛いと苦しい表情の取れない母・・・

近くにいた看護婦に伝えましたが、

「人工呼吸器のバランスと自発呼吸のバランスが噛み合わないと苦しくなることが有る」

と言われました。

 

ナースコールをヒキりなしに押して看護婦に伝えますが、以前頻繁にナースコールを押して何も無かった状態が続いた母の対応は遅く私も???と思っていました一応帰り際に看護婦に胸が痛いのが続いていると伝え病院を後にしました。

 

数日後担当医から電話連絡が入り胸に管を付けたので、都合の良い時間に話をしたいとの事でした、

病院に行ってみて担当医に話を聞くと胸の薄い膜が斬ているので、細い管を破れた所に注入したとの事でした、このカニューレの手術後機械酸素の出し入れと自発呼吸のタイミングのズレが生じてよく有ることですと言われました ( ̄□ ̄;)

 

その日は病室に行くと昨夜あまり寝られ無かったのか、グッスリと寝ている母、表情は落ち着いていたのでその日は帰りました、

 

一日明け病室に行き、母に

 

「本当に痛かったんだね…ゴメンネ」

 

と書きました

 

少しため息混じりでしたが、軽く頷いてくれたので少しホッとして

「何時も苦しい、死にたいなんて言っているから、本当に苦しいのがわからなくなる時がある」

とホワイトボードに書きましたが、母は少し怪訝な顔をしました、今思えば一言余計な事だったかも・・・

 

その日は妻の母の用事で栃木に行かなくては成らなかったので、母に又来ると告げ病院を後にし栃木に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017 晩秋

 

カニューレの手術をした母、最初は無理せず傷が落ち着いてから徐々にリハビリ

 

手術から数日立った頃に、未だ元気な母の兄と妹の所に行きました…

後に為ってしまったが、手術をした事の報告と謝罪

妹も兄も理解して頂き、少しホッとした (。>д<。)

 

 

術後直ぐには言葉は喋れないので、あいうえおと簡単な単語(いたい・くるしい等)が書かれたパウチ紙…

 

覚束ない感じであいうえお単語帳での会話、でも云いたい事がうまくいかない、中々コッチもモドカシク成ってしまう・・・

 

そこで100円ショップで買った、ホワイトボードとペンで会話?するようになった、その内母も書けると思ったが、点滴の針や管の影響・筋肉の低下でナカナカペンを持つのも覚束ない。

 

結局私やリハビリの方が書き、その文字に頷き、反応をする様になる・・・

 

 

ICUに入る際はアルコール消毒で済みましたが、HCUになると菌等の事も懸念して使い捨ての手袋とエプロンを付けなくては為りません、結構面倒臭いです

 

 

毎日の面会も辛くなってきた頃に、一日置き面会に来ることを母に告げ、それでも一日置きの面会には、具合や天気外に見える茨城の山の様子、リハビリが什長に進めば流動食からの食事や会話が出来る事や一般病棟に移れれば、ひ孫(外孫)にも会える書き伝える日々・・・

 

 

暫くして口元が動くように為り(声は出ないが)口で言葉の動きをしながらの会話の日々・・・

 

調子が良い時は問題ないが、今回の入院からロクに食材を口にしていない母、元々食べる楽しみが抜けない性格なので時折心が折れ始める、舌を出し(アカンベー)の状態で首を傾ける。

 

どうした? 痛い? と聞くと、

 

辛い…

もう嫌だ…

死にたい・・・

 

と表現し始める事が暫しあった、栄養補給の為管からの液体も、

「気持ちが悪い」

と言って拒否し始め、私がこれを我慢しないと口から食べられ無いよ!! と言って少しづつ我慢し始めた…

 

別日に私の病院で待合室で待っている時、母より年配の方が首にスカーフを巻いて待っているのを見かけた、よく見てみると母同じカニューレが見えて少し母の今後に期待して、母にもその事を伝え期待に応えて欲しいばかりだった。