『笑いの王』
(Qui rido io クイ・リード・イオ)
監督:マリオ・マルトーレ
出演:トーニ・セルヴィッロ
20世紀初頭のナポリ演劇を代表する
劇作家・役者エデュアルド・スカルペッタの
後半生の物語。
エデュアルド・スカルペッタは
まさに『喜劇王』として毎夜、舞台に立ち続けている。
彼が登場するだけで、
劇場は歓声と拍手な鳴り止まないほどの人気ぶり。
芝居の見せ場では、
笑いと共に劇場が割れんばかりの拍手の嵐が巻き起こる。
市民からの人気、莫大な富、
公然の秘密である何人もの愛人と隠し子。
豪快で順風満帆な喜劇王の人生。
しかし詩聖とまで呼称される
詩人・ダンヌンツィオの悲劇を
パロディとして上演することで、
彼の人生に影が落とされることになる。
2022年イタリア映画祭で観た映画です。
映画の後に高田和文氏(静岡文化芸術大学名誉教授)
のトークショーがあったおかげで、
映画の内容を深くまで飲み込むことが出来た。
現在のイタリア人がこの映画を観て、
どんな風に感じるか、当時のイタリア演劇界の様子などを
分かり易く解説してくれたので勉強になったよ。
この映画の前半のほとんどの時間は
エデュアルド・スカルペッタの実際の舞台
「貧乏人と偽貴族」の稽古や
舞台本番のシーンを映し出している。
それだけ彼にとって、
そしてこの映画にとって重要な舞台なんだね。
詩聖ダンヌンツィオを崇拝する人たちは
ダンヌンツィオの作品が汚され低俗なものにされたと、
エデュアルド・スカルペッタのパロディ作品を
潰しにかかる。
パロディとパクリって難しい判断だよね。
後半、このパロディ作品を巡って、
エデュアルドは訴えられて裁判になるの。
それでも、ローマの劇場で
ダンヌンツィオの舞台を観た時に、
エデュアルドは他のどのお客よりも、
ダンヌンツィオの作品に引き込まれて見入ってるんだよね。
そしてパロディのインスピレーションを受ける。
偉大な作品とはあらゆる人に
インスピレーションを与えるものだし、
まして喜劇王たらしめた男に、
それだけ感銘を与えたのならば誇らしいことだよね。
詩聖と言われる人間の文学的作品にとって、
喜劇は低俗なものだったのだろうか。
お笑いが無ければ生きていけない私にとっては
信じられないことだけれど。
トークショーの時の話だと、
この裁判はダンヌンツィオが訴えたというより、
著作権協会が訴えたという色合いの裁判らしい。
裁判の結果が、ナポリ市民の気概を感じる
拍手喝采のものなんだよねぇ。
ナポリの裁判所は異例の
「パロディと認める」って判決をしたんだって。
やっぱりナポリの芝居は
詩聖・知識層なんて気取ってる人間の物じゃなくて、
市民の生きる力に溢れた芝居なんだね。
訴えられた当初、熱弁を振るうエデュアルドに
「ここは劇場じゃなく、裁判所なんです」
と判事が言い放つ。
しかし映画最後の最終答弁のシーンでは、
エデュアルドならでは語り口で
傍聴人を笑いの渦へと巻きこみ、
裁判所を喜劇舞台に変えてしまった。
なんとも痛快なラストシーンだった。
「Qui rido io(クイ・リード・イオ)」
直訳すると「私はここで笑う」。
どんな状況にあっても最後には全てを笑いに変える。
天才・エデュアルド・スカルペッタの
豪快な人生の話だった。



