「アウシュヴィッツは終わらない
-あるイタリア人生存者の考察-」
プリモ・レーヴィ(Preimo Levi)著
原文のタイトルは
「se questo `e un uomo」=「これが人間か?」
本書の初めに出てくる一文
「これが人間か,考えて欲しい(以下省略)」から取ったものだ。
タイトルのみの意味を考えると、
「se questo `e un uomo」=「もし、これが人間なら・・・・」
と文章の後に続く言葉を想像できるだろう。
アウシュヴィッツに入れられた人間に行われたことは
「人間」に対してする行為なのか?
虐待・虐殺を、ただ機械的な仕事として繰り返した人間は、
「人間」と呼べるのか。
この本は、アウシュヴィッツを数字
(ガス室で殺された人間の数・面積・収容所の数)
で示すのではなく、
プリモが同じ囚人から手に入れた情報をもとに
「突然アウシュヴィッツに入れられ、人間として扱われない者」
の視点で描かれている。
名前を奪われ、囚人番号を刺青され、髪をそられ、
服も靴も無いに等しい。
死という巨大な黒いナイフを、
常に喉元に突きつけられている生活だ。
盗み・裏切り・賄賂、今の世の中では道徳に反するが、
命の極限に立たされた時、道徳なんて何の役に立つんだろう。
生きる為に智恵を使い、余計なことは考えないようにする。
溺れるものと助かるものの二種類しかいない場所だ。
何度か読み返し、プリモの明晰さに感心した。
人間の記憶は、
意識的にしろ無意識的にしろ現在の感情の着色が加わるものだ。
しかし、プリモは当時の様子を冷静に、正確に、鮮明に文章におこしている。
しかも、読者を導くように問いかけるように文章を繋いでいく。
「新参者」の何も理解できない状態から、
「新参者」を少し見下し裏取引の術を身に着けていく
「古参囚人」への変化の過程はプリモの強さというより賢明さを感じさせる。
アルザス出身の囚人にイタリア語を習いたいと言われた時、
とっさにダンテの『神曲』をフランス語で教えるという事があった。
労働を離れた一瞬、今この瞬間に伝えないと、
明日はどちらかが死んでしまうかもしれない。
切迫した焦りの中に、彼は喜びを感じているように思えた。
感情すら奪われた中で、
他人に自分の国の言葉を教えるという人間らしい行為。
命を繋ぐスープですらあげてもいいと思ったほど、
プリモの気持ちは高揚していた。
この時は、私まで切迫感と高揚感で満たされ、
息が止まる思いで読み進んだ。
アウシュヴィッツ。強制収容所。ユダヤ人の大量虐殺。
この酷い歴史を知っているつもりだった。
「シンドラーのリスト」ではユダヤ人を救った企業家の姿。
「アンネの日記」では少女の悲劇。
「ライフ・イズ・ビューティフル」では当たり前の幸せを惨いまでに奪い、壊した。
杉原千畝は政府の処罰を恐れず3千人以上のユダヤ人にビザを出した。
これだけの情報があっても、
それが表面的な情報に過ぎないと、
「アウシュヴィッツは終わらない」で痛感した。
そこには無言で機械のような奴隷として
人間の尊厳を奪われた者達が、
生きる為にさまざまな術を使い、
コネを使い、盗みを働き、自らの才能を最大限生かし
命を繋いでいた。
収容所の中で結合し、収容所の中だけの言葉が生まれ
(収容所の中では15ヶ国語が行き交った。
それだけ多くの国のユダヤ人・00系ユダヤ人がいたのだ。)
市という取引の場までも出来上がった。
もちろん監守には見つからないところで。
こんな状況下で社会が出来上がるとは思いもしなかった。
感情すら失っても彼らは人間だ。
そう感じた。
そう感じたと同時に、いままで自分は彼らを人間としてではなく
「大量虐殺されたユダヤ人」という
表面的な認識しか持っていなかったこと自覚した。
かれらは「大量虐殺されたユダヤ人」という一塊の歴史的資料ではない。
この本は、家庭も友情も仕事もあった
一人の人間としてのユダヤ人と、向き合える一冊だ。
本書では度々、
ダンテの「神曲・地獄篇」になぞられて話がされることがある。
「アウシュヴィッツは終わらない」を読むきっかけになったのは、
舞台「神曲」後に行われたロメオ・カステルッチのポストパフォーマンストークで
この本の話が出たからだ。
その後、大学のドイツ文化の授業で、
本のタイトルだけは耳にしたが読まなかった事を思い出した。
さらに2年前のイタリア映画祭で
「プリモ・レーヴィの道」を観なかったことを思い出した。
幾度も機会があったのに、
プリモの作品に触れなかった理由は・・・・。
だって、重そうだったんだもん

でも、実際に読んでみるとただ重いだけではなく、
人間味溢れる内容だったし、得たものは多かった。
読まずに終わる人生にならずに良かったと思う一冊だ。
プリモは24歳から2年間、アウシュヴィッツに強制収容され、
解放後は科学者として過ごす。
その傍ら、自らの体験を本にし、積極的に講演活動を行った。
しかし、解放後もアウシュヴィッツでの悪夢に血を凍らせる思いをしたと、
自ら語っている。
これは、収容され生き残った者、全員に共通した痛ましい記憶だろう。
そして68歳の時、自宅アパートから投身自殺をした。
「自由は言葉の原点であるはずなのに人類は過去から何も学んでいない。
21世紀になっても殺戮、抑圧、圧止の時代は続いているし、
将来もずっとこれは続くだろう。
もはや自分の役割の意味すらない。」
という言葉を残して。
本当に残念だが、皮肉にも序文
「ファシズムはまだ死に絶えていない。
虎視眈々と復讐を狙っている。」
から付けられた邦題
「アウシュヴィッツは終わらない」は
プリモの人生すら言い表してしまったようだ。
プリモ・レーヴィ(Preimo Levi)