こんばんは
朝4時からおにぎり作ったり営業してたらこんな時間になっちゃった市川貴章です
まざーずでい
最近SNS見てるとフェスやらイベントやらマルシェやら酒を飲んで盛り上げてるのが上がってくる
溜まってたものが爆発してる感。同じ飲食店として『いいなぁ』と思いつつも、自分の役割、ちばる食堂の役割を崩してはいけないというマインドがある。
華やかなところに憧れを抱くことは確かにある!が、しかし!僕は僕の道をちゃんと歩くと決めた!と、どこか言い聞かせてるところはあるけどね
さて、いつも僕の相方は考える余白をくれる。
困った人が困らないように環境も法律も整備しがち。しがちというか、だからこその環境整備だし法律の改正だったりすんだけど
それが逆に人が人として生きる生き方を薄れさせてるんじゃないかなぁって思ってる。
介護施設なんてまさにそうで
バリアフリーの設計で、朝になればご飯がでて、昼になればご飯が出て、お風呂は沸かさなくてもいつでも入れるような状態になってて、布団は干さなくても敷かなくても寝れる状態になってる
だから、日常のなかであれしようこうしようと考えることがないし、困りごとがあっても自分や自分の周りの人と力や知恵を出し合って考えることも忘れてしまう。
これは、高齢者や介護が必要な方の話だけど、こんな状況が進んできたのか、若い世代も『考えて生きる』ということが薄れてきてると感じることもある。
誰かがやってくれる、分からなければ教えてくれる。教えてくれないと『なんでだよー!』って、へんなマインド。人間には考える能力があるわけだし、今はインターネットがあって調べることなんて容易なわけで、やれないこと、やらないことを人のせいにする
でも、今を生きているのは自分で自分たちで
それでも好きなこと興味のあることはとことん調べたり、情報を集めに行動する。だけど、興味のないこと、やらされていると感じる時はそうじゃなくなる。なんでかね。
興味がなくたって、やりたくなくたって
腹が減るから米を作るし、野菜を育てた。
歩き疲れたり、めんどくさくても家が丘の上にあれば歩いて登って家路に着く。
環境に応じて人は人として動くという選択をする。動かざるを得ないから行動をとる。
だけど、全てがバリアフリーになってしまったらその不憫さが取り除かれて、ポカンと平面が広がる。全てがWin-Winだらけの世の中では面白くない。
不憫さがあるからこそ考えるし、それがクリアになった時、達成感とか充実感を感じる
楽しいが確定している日の当たる場所にいるより
まだ暗闇に月明かりが照らしてくれてる時に考え行動する方がワクワクする。だって、日は必ず昇るから!