あぁー!めっちゃいいの出た市川貴章です
なんだから急に文字を書きたい気分になった。
かと言って伝えたいことが大いにあるわけでもないから適当なことをツラツラと書こうとおもって書き進めています。
僕は、改めて妄想がすきで、現実をガッと受け止めてそのために何かをするってことよりも。この何かのために遠い未来こんなんがあったらいいんじゃないかなぁってのを同時に妄想する。
例えば今僕が妄想してて、今の夢というか
サンタクロースにもらいたいものは、超ピンポイントなんだけでローカルすぎるんだけど
僕の住む岡崎市にある『岡崎東公園』が欲しい
ここは、市の持ち物で到底企業にプレゼントするような物件ではないのは百も承知だけど、僕はここ最近この公園が欲しくてたまらない。
ずっと妄想し続けてる『街づくり』にピッタリで
この公園の一部を住宅地にしてぇー、森の一部をアスレチックにしてぇー、今は無料開放してるけど入場料やお金が発生するようにする。そこに受付を設けることで新たな雇用が生まれる。
今は使わなくなった、チケットを切る道具を使いおじぃおばぁがチケットを切って入場する。
だけど、スムーズにできなくて受付はいつも長蛇の列。べつに中が混んでるからではなく、ペースがゆっくりだったり、毎回作業内容を忘れちゃうからなかなか入場できない。
それでできた長蛇の列。
そのことを知らずに公園近くを通った人は
『なんだ?あの人だかりは』って興味を示し足を運ぶようになる
おじぃおばぁは仕事が終われば公園内にある住宅に帰り、時間があれば公園内を散策する。
目的はよくわからなくても、散策してれば人がいて、色づいた木々があったり、子供が遊んでる声がしたり。その辺にある街で歩いてれば『大丈夫?あの人』って目で見られたり、気疲れもせずに素通りされるけど、ここではそんなことも起きない。
つまりは、徘徊が散策という言葉に綺麗に入れ替えれる。
みたいなことを、最近はずっと考えてる
岡崎市が来年全勢力を注ぎ込む『どうする家康!』ここを皮切りに観光に力を入れるんだろうけどそれは一時的なこと。
福祉をベースに街づくりをして一種のテーマパーク的な存在の場所をつくる。福祉と観光の街岡崎こんなことをすると、他の都道府県、市町村は言うだろ『どうした岡崎』って。
きちんとやらなくても面白がればいい
今はまだ妄想なんだから。