もし貧困の家に育ったら | Passのブログ (情報部屋)

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今日の夜のニュースで、産まれた時の新生児の取り違えミスで、数十年もの間でそれがよく分からずに、ずっと違う家庭で生活してきてしまった衝撃的な話題がテレビで出ていましたね。

取り違えの起きた一方の家庭は富裕層のお金持ちの家で、大変に恵まれた環境で育ち、もう一方では生活保護の貧困層で、育ての父とは2歳で死別し、中卒で苦労しながらも、今や立派な還暦になったという何とも生々しい実話。

まるで映画さながらのシチュエーションであり、裕福な家庭に育つはずだった自分の人生が、生活保護で貧困であったからなのか、他人からイジメられたり、言葉の暴力などを受けたりして苦しんだとのことでした。

それでもけなげに立派な大人に育ったという本人のとつとつとした経験談に思わず息を飲み、さすがに同情を禁じ得ませんでした。

もし、産まれた時の病院で取り違えが無かったならば、裕福な家庭で家庭教師や大学卒業の学歴も付けて、一体どんな成功をしていたのだろうか?

そう、振り返って人生や家族を改めて考えたくなるのは、ごく自然なことですよね。

私の場合は、特段に裕福でもなくて、特段に貧乏でもないような、まさに中流家庭のサラリーマンと専業主婦の一般的な家庭でありましたから、そういう意味では、よく何とか落ちこぼれず、引きこもらずに、人生をギリギリの所で世を渡り歩いて生きてこれたかなあと考えています。

今では格差社会がさらに進んでいますので、今の子どもたちはかなりの二極化の人生が繰り広げられるはずです。

同じ小学校の仲良し同級生が、二十年後にはかたや社長で、かたや生活保護などといったような、シャレにならない階層化社会が進んでいくとしたら、恐ろしいものがありますね。

「人生は、生まれた時から、格差社会」

そんな時代は嫌だなあと感じましたね。

やはりこの世は努力が報われる社会であって欲しいものですが、皆さんはこのニュースをどのような面持ちで見つめていたのでしょうか?


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