日光の東照宮には「三猿」という古来からの言いつたえを表す三匹の猿が絵に描かれており、私も子どもの頃に生で見たことがあります。
あの頃には、その話の中身はよく理解できていませんでしたが、ざくっと言えば、あまり世の中の本音や真実について「見たり、聞いたり、話したりしない方がいいよ」ということですよね。
大人の今となってみれば、何となくそのことがよく分かってきます。「知らぬが仏」という言葉もありました。
あまり都合の悪い深い顛末は、よく知らない方が世の中での仕事も円滑に回るだろうというのは確かにあるだろうと思いますね。
今の世の中というのはあまりに複雑すぎて、からくりを知ることも難儀な話ですが、それを読み解いても希望の光は決して下りてはこないということです。
やはりきれいごとだけでは世界はうまく回らないので、あまり根掘り葉掘り内情を詮索してはいけないんだということを昔の人は戒めているのでしょう。深い話だと思います。
こういう内実やスキャンダルを仕事の糧にしているのが、巷に溢れる週刊誌であり、ワイドショーであり、ジャーナリストと称する人たちであるわけで、こういうことを仕事にする人たちは、昔からの厳格な教えやしきたりには実は背いた行為なのでしょう。
同時に「正直者が馬鹿を見る」という言葉もよく使われますが、仕事をしていると適当に話をごまかしながら、周りから批判を受けないように、うまくだましだましやることの重要性をひしひしと感じますね。
別に芝エビがバナメイエビでもいいじゃないですか、国の特定秘密は多少あいまいでもいいじゃないですかと、私はちょっとそう思いますね。
どこからが秘密で、どこからがオープンなんて、そんなこと細かく線引きできるわけがない、バカじゃないの?そう思いますね。
ただし、例外として一定の内部密告者は保護される必要もあると思います。
やはり組織には少しぐらいは正義感の強い人が職場内には居た方が、いきすぎた腐敗や不法行為を明らかにすることができるからでしょう。
私も、自分がしてきた仕事など、あまり特定的な話は、お口チャックで話さないようにしています。
しかし、世にはあまり知られていないことを、多くの人がいろいろ知ってしまうと、原発の問題みたいに収拾がつかなくなりますよね。ちょっと絶望的な感覚さえ持ってしまいます。
知らないことばかりでは損をすることが多いですが、知りすぎてしまうということもちょっと考えものようです。
2~3割ぐらいは組織や人には秘密があってしかりだと思います。何でもかんでも素性を明らかにして、つまびらかにすることは、世の中に混乱と絶望を味合わせてしまうことにつながってしまうのでしょう。
「お口チャック!」で、あまり深くは知りたがらないし、いちいち話さない方がいい。説明責任?コンプライアンス?そんなものはいちいち全部を気にしてなんかいられないよ。
まあ、あまり深く内情にかかわらないのが模範的なオトナのマナーなのでしょうかね?
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