先日、新聞広告に出ていた橘玲(たちばなあきら)の「(日本人)」を通読しました。380ページにも及ぶかなり重厚な本で、さすがに立ち読みだけでは内容を理解しきれずに、思わず購入しました。
(日本人)/橘 玲
¥1,680
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これまでの経済や投資といった枠に囚われず、社会・哲学・政治・経済・海外・文化・歴史・伝統・宗教・精神科学など、かなり幅広く奥深い視点の下で、さまざまな社会的な論点について著者が見解を述べながら、今後のグローバルな生き方を模索する、かなり思考実験的な内容です。
何度も読み返さないと、きちんと理解できない部分もあり、今後、繰り返し時間をかけて読み直していきたいと思いますが、それにしても橘氏の思索に富む見解や解説を読み解く度に、この人の世の中の森羅万象を冷徹に見通す才能の凄さと、見識の深さに圧倒されてしまいます。
この本の内容はかなり多岐に及ぶので、何回かに分けてこの著書の感想と、我が日本の対処の仕方や世の中の国々の今後の見通しなどを一緒に考えていきたいと思います。
○日本人の重視する空気はどこから来たのか?
まず最初に、いわゆる現代の日本の社会の流れを決める環境要因に「世間の空気」というものがあります。この「空気の正体」について、幾つも書き記されている部分があります。
橘氏によると、これは日本人独特なものではなく、農耕型社会(東洋文化)によく見られる大変に身近なありふれたものにすぎなかったと斬ります。その中から一節、興味深いをご紹介。
(以下引用)
タイは妥協の社会だ。敗者の数はきわめて少ないし、対立に時間を費やすのはきわめて稀だ。妥協案を見つけるためなら恐ろしいほど時間をかける。肯定的にとれば、みんなが人生を楽しいと感じ、そうすることが自分たちにとっても良いと感じている。
⇒「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理に通じる
(中略)
人間関係がすべてに優先するタイ社会は、「ねたみ、そねみ」の世界だ。気配りは、組織のなかでできるだけ目立たず、いじめの対象になることを避けるための技術でもある。
タイ人が面子にこだわるのは、それが「気配りの世界」を維持するための絶対条件だからだ。面子を失った人間に居場所はない。これは、彼らにとってももっとも恐ろしいことだ。
⇒「リーダー不在」は日本人の農耕型(東洋人気質)によるもの
(中略)
タイの会社で出世するためには、組織の中で目立たず、自主性も発揮せず、なによりも責任を取らないことが大事だ。
こうした組織は安定するかもしれないが、自分のちからで「変革」することができない。だからタイは常に“ガイアツ”を必要としている。
⇒あくまで「組織内の安定」が絶対条件、これを乱す者に居場所はなくなる
(続く)