皆さん、こんにちは。

船橋市議会議員の石川りょうです。

 

映画「20歳のソウル」の公開を来月の今日(5月27日)に控え、船橋市内も盛り上がりを見せています。

この原作の物語は、市立船橋高等学校の吹奏楽部にあります。

そういったきっかけもあり、船橋市が誇る市立高校である市立船橋高等学校について改めて調べてみました。

 

1.船橋市の「市立」高校として設置された経緯

市船は、船橋市の市政20周年を記念し、昭和32年に県下3番目の市立高等学校として創立されました。

当時の船橋市は東京都の衛星都市として宅地化が進み、人口急増に伴って、市内小中学校の児童生徒数も増加していました。生徒数の増加により、高校への進学希望者も増えていましたが、当時の市内の公立高校は千葉県立船橋高等学校(県船)1校のみであり、市民からの市立高校設立を求める声が大きくなっていました。市民の要望に応え、次代を担う中堅市民を育成する学校として開校したことが始まりです。

 

以上が端的な説明になるのですが、開校当時の記録などを読み解くと、なかなか大変だったことがわかりました。

当初は県立高校の設置を千葉県に対して要望していたのですが、当時、地財法の適用を受けていた千葉県では財政上不可能だったこともあり、市立高校設置へと舵を切ったとのことでした。しかし、当時の船橋市はまだ義務教育である小中学校の整備も満足になされていない状況であり、市立高校の設立は義務教育学校の整備に目途が立った後に行うべきという意見も根強かったようです。

 

しかし、当時の高木良雄市長や岡部定教育長の強いリーダーシップにより、種々の課題を解決して創設に至ったという話はまるで物語のようであり、当時の執行部や教育委員会、そして、議会を含めた関係者の方々の熱い思いは読んでいて共感する部分がたくさんありました。

 

高木市長の信念は以下のようなものでした。

船橋市は宿場町として発展してきたところであるから、商業の盛んなところで、現在も年々発展の一路をたどっているのであるが、船橋市の商業をみるとほとんど銀行取引をしていない。行商人的商業、露天的商業などといわれたり、ひどい表現では闇船橋などというものがあった。こうした商業が行われるのでは近代的商業都市とはいえないし、また京葉工業地帯の一角として埋立地に工場が誘致されるであろうし、首都東京の衛星都市として住宅都市にもなろうとしているのに、このような前近代的な商業では成り立たないものと思う。それに、我が国の経済力を増すためには外国との貿易も拡大していかなくてはならないだろう。そうなればどうしても近代的な商業に脱皮しなければならない。そのためには商業教育を行うことが第一であると考えたのである。

 

以上のような市長の強い思いにより、市船は商業科を中心に置き、普通課程を併設する形でスタートしたのです。

当時の船橋市の歴史的背景や、市長の思いなど、とても興味深いものがあります。

 

2.体育科が設置された経緯

船橋市は昭和58年に「スポーツ健康都市宣言」を行っています。

これは、地域に根ざしたスポーツ活動を通じて健康で豊かな心とからだを育て、活力ある近代的な都市を目指すために宣言されたものです。

 

同年4月に、市立船橋高校の体育科は新たに設置されました。

宣言の日付は10月なので、その半年前に市船の体育科は新設されました。

当時の大橋和夫市長の議会答弁によると、体育科の新設はあくまで地域の要望であるとのことでした(昭和57年第3回定例会)。

新しい市民と昔からの市民の間にチームワークがぜひとも必要でございますし、市民の連帯感、新しい郷土意識を育てるには、私はスポーツ振興が一番いいと思うわけでございます。全県下から選手を集めるような考え方ではなく、現実にもう船橋市のちびっこ選手は、全部よそに引き抜かれている現状でございます。私は、少なくとも市立高校である限り、市内の子どもたちがスポーツと勉強に力を入れたい、そういう希望のある方は、少なくとも半分ぐらいは地元にとどまっていただきたい。体操にしましても、中学生の段階で日本一を取っておりますし、サッカーについても一位、二位が県下の代表として船橋から出ております。東関東地区の代表としては、船橋のちびっこ野球チームが出ているわけでございまして、新しくつくるんではなくて、いまある子どもたちの強い希望とその父兄たち、また、それをバックアップしている多くの市民の方々の要望が強いと思いまして、教育長に希望を述べたわけでございます。

 

時期が時期なので、スポーツ健康都市宣言の象徴として設置された面もあろうかとは推察します。

しかし、この体育科の設置についても、当時の記録を紐解くと、様々な議論があったことがわかります。

いつ・だれが・どこで計画をしていたのか、時期尚早ではないか、校舎はどうするのか、(グラウンドを含めた)施設・設備はどうするのか、教員の確保は…。様々な課題を抱えていたようですが、これも当時の市長や教育委員会の努力により開設に至ったようです。

 

3.今後の市立船橋高校について

昭和42年に発行された市船の創立10周年記念誌「α(アルファ)のもとに」の50ページには興味深い一節があります。

元来教育政策の実現は、政治権力と結びつくことによって、はじめて可能であることは教育行政の通念である。どのような教育政策であっても、たとえそれが理念として正しいものであろうと、一般住民の要求であり希望であっても、政治権力によってその政策が採り上げられなければ、その実現はあり得ないのである。だから、政治権力の座にある人々が、教育の重要性を正しく認識しない限り、正しい教育は行われえないといっても過言ではないだろう。

 

このように述べて、市船設立時の市長や教育委員会の決断を評価しています。

 

市船の歴史を紐解くと、開校時の商業科の開設も、その後の体育科の新設も、上記のような当時の市長の思い(ある意味、政治権力)が強く働いています。船橋市の「市立」高等学校である以上、私はそれでいいと考えています。むしろ、そうあるべきです。商業科については、千葉県下でも2番目の総事業所数を誇る「近代的な商業都市になる」という開校時の目標は達成したと思います。体育科については、創設以来、数々の種目や大会等で目覚ましい結果を出してきたことは周知のとおりです。両学科とも、市船独自の(市船らしい)学科という側面はあると思いますし、現時点では継続していくべきとも考えます。

 

しかし、すでに船橋市内にはたくさんの公立高校や私立高校が存在します。

突き詰めれば、当時のような高校不足の状況にはなく、また、当時の目指した商業都市としての目標も達成している現状の中で、市立船橋高校は今後どのようなビジョンをもって発展していくのか。最近では、大阪のように、大阪市立高校を府立にしている事例も出てきています。「市立」であることの良さや特徴がなければ、千葉県立でいいじゃないかという判断にもなりかねません。船橋市の大切な市立高校ですので、そのビジョンや教育方針(教育内容ではなく政策)につていは、まさに政治がリーダーシップを発揮するべきだと考えます。今の船橋市はその点が少し弱いと認識していますので、その点は、今後もしっかりと考えていきたいと思います。まずは、近隣の市立習志野高校や市立柏高校などのビジョンや取組などを研究してみようと思っています。

 

今日は、来月の「20歳のソウル」公開を目前に控えてのブログでした。

市船については、今後も調査研究を続け、ブログで発信していきたいと思います。

*なお、現在でも、市船は、単位制の導入や国際コースの設置、学区拡大、市内中学生優先入学制度など、独自の取組を行っておりますことは追記させていただきます。【ご参考】学校案内パンフレット

 

2022年4月27日 船橋市議会議員 石川りょう

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