皆さん、こんにちは。

船橋市議会議員の石川りょうです。

 

先日のブログに書かせていただいた「日本進化論」(落合陽一氏)の教育のパートを読んで以来、日本の教育の問題点について考えてみたいと思い、「学校の大問題」(石川一郎氏)という本を読みました。

 

この本は、①探求型学習と②教育のICT化をテーマとして書かれた本だと理解しました(私の勝手な理解ですが)。

今日はこの本から私が学んだことを書かせていただきます。

 

「探求型の学び」というのは、落合氏の「日本進化論」で言われていたところの「Ph. D的な学び」と同義であると捉えました。自分で問題や課題を発見したり、「なんで?」「なにこれ?」と思った興味や関心に対して調べ、考え、やってみて究めていき、その結果、スキルが身に付くという学習です。大学院以上のアカデミアの世界では当たり前のこと、そして、社会(大人の世界)では日常的に(仕事として)やっていることかもしれません。大人になったら行われている、まさに「生きる力」とも言うべき学びが、これからの我が国の教育に必要なのではないかと思うのです。

 

戦後から続く日本の教育、つまり、必要なことを要領よく暗記する能力や、単純に知識の多さ、スピーディーで正確な処理能力を求める教育は、工業化社会を前提とした高度経済成長期には極めて適していたと思いますが、現在の情報化社会の中では通用しなくなっていることは明らかです。上述した能力は、近い将来、AIでできるようになってしまいます。

 

それならば、人間は、日本人は、AIにできないことをできるようにならなければなりません。その代表例が、想像する力、根拠を言語化する力、クリティカルシンキング、意思決定力、共有する力などです。①記憶➡②理解➡③応用➡④分析➡⑤評価➡⑥創造というステップがあるらしいのですが(ブルーム・タキソノミー)、こういった能力を育てる教育が求められているのだと思います。そして、それこそが「探求型教育」であるということなのです。

 

この探求型教育ですが、現在の日本の教育現場ではなかなか難しいと思います。

なぜなら、

(1)評価が難しい

現在の日本の教育の目指すところが、実質的には大学入試となってしまっており、テストの点数や偏差値といった定量化できるものでないと評価できない。仮に評価できたとしても、大人数の子どもたちの評価に莫大な時間と労力がかかってしまって大変。また、客観的な評価軸がないため教師の恣意が働いてしまったりする可能性があり、不公平との誹りを恐れる今の教育現場ではなかなか踏み切れない。

(2)学校の意思決定力が弱い

学校、特に公立学校は、文科省や教育委員会の下部組織という意識が強く、新しいことに踏み出せない。お上(教育委員会)からの指示やガイドラインなどが示されなければできない。横並び意識が強い。

(3)教師にも経験がない

我が国の教師の大半は、大学卒業後すぐに先生になります。教師になる前や後にでも社会に出たことのある人は数少ないのが現状です。つまり、多くの先生方が「探求型学習」や社会人経験をしたことがないのです。

*上記(1)(2)(3)はあくまで一般論です。変わってきている面はあると思います。

 

しかし、真のお上(文部科学省)は「探求型教育」を目指しているのです。

まず、2020年から始まった新しい学習指導要領の3本柱の1つは「未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力」です。

文科省は、探求を「物事の本質を自己との関わりで探り見極めようとする一連の知的営み」と定義づけたうえで、その詳細を以下のようにまとめています。

①日常生活や社会に目を向けた時に湧き上がってくる疑問や関心に基づいて、自ら課題を見つける。

②そこにある具体的な問題について情報を収集する。

③その情報を整理・分析したり、知識や技能に結び付けたり、考えを出し合ったりしながら問題の解決に取り組む。

④明らかになった考えや意見などをまとめ・表現し、そこからまた新たな課題を見つけ、更なる問題の解決を始めるといった学習活動を発展的に繰り返していく。

 

じゃあどうやるのか?と考えたときにキーワードになるのが情報通信技術(ICT)の活用なのです。

 

探求型学習の第一歩である、自分の興味や問題意識を見つけたとします。

次に行うべきは情報収集であり、いまや「ググる」(Googleで調べる)という言葉が市民権を得ているように、情報収集の中心はインターネットです。それらの情報を集めて、考えたり分析をするのですが、その際にはワード、エクセル、パワーポイントなどで文字化したり、データ化したり、グラフ化したり、数値化したりするわけです(その他にもたくさんのソフトがあります)。そのうえで、自分の考えや分析を客観的に評価するために、SNSで発信したり、ブログを書いたり、今や動画をあげることだってできます。そういった発信や共有を通じて得られた他者からの評価をもとに、さらに情報収集、理解、分析、評価と、いわゆるPDCAサイクルを回すことによって自らの考えを洗練させ、課題を解決し、関心事を究めていくのです。このように考えると、探求型学習とICTとの相性は抜群です。

 

それを進めたいという国の意志が現れているのが「GIGAスクール構想」だと思います。

義務教育からでも「探求型教育」の芽は摘まない。

高等教育(高校や大学)からは「探求型教育」をどんどん進めていく。

大学院からでしか「探求型教育」が難しいのであれば、院への進学をもっと増やす。

 

このコロナ禍で、日本人は「自粛」はできるけれども「自律」はできないとよく言われています(最近は、自粛ができているのか疑問な点もありますが…)。言われてきたことはそれなりに守る教育はされてきたと思います。しかし、これからの時代に求められているのは、未知の状況の中でも、状況を分析し、自分の行動を決める「自律」なのだと思います。

 

2021年1月16日 船橋市議会議員 石川りょう

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