皆さん、こんにちは。

船橋市議会議員の石川りょうです。

 

今日のブログは、先日ご紹介した落合陽一氏の「日本進化論」から、教育編です。

 

この章に書かれている落合氏の言葉が印象的でした。

 

「僕は誰かに褒められたりけなされたりしても特に落ち込んだりはしません。なぜなら、小学校から高校にかけて刷り込まれる、他人の基準に合わせて物事を判断する近代教育的な価値観から抜け出すことができたからです。」

 

こういう小学生や中学生って、各学年とか学校に、少人数ですが、いましたよね?

私が子どもの頃は、こういう人に対して、「変わった人だ」、「ニヒルなのかな?」と思っていましたが、大人になって再会したり、噂を聞いたりすると、「只者ではない」という人になっている割合が高いです。ただ、その逆もまたそうなのですが(あくまで個人的見解です)。

 

私などは、まさに「他人の基準に合わせて物事を判断する近代教育的な価値観から抜け出すことができなかった」人間です。

学校教育や先生の言うことを、何の疑念も抱かずにひたすら守ってやってきました。

そのおかげで、勉強やスポーツなどは人並みの成績を収めていました。

しかし、自分で言うものなんですが、自分は何か突出した才能があるわけでもなく、とりたてて頭も良いわけではなく、横並びに育ってきたなぁ…と感じることが最近よくあります。そして、周りの空気ばかり読む。

 

もちろん、横並びに育ってきたことを卑下するわけではありませんし、現在の我が国の学校教育を全て否定するつもりもありません。OECD生徒の学習到達度調査(PISA)で安定して上位を維持しているように、我が国の義務教育は標準的な知識を効率的に詰め込むという点では世界でもトップクラスにあると思います。

 

しかし、生徒全員が同じ科目を同じペースで画一的に勉強するスタイルには違和感を抱き始めています。本書でも指摘されているように、時代は大きく変わり、個人の考え方やライフスタイルがバラバラになっていくこれからの社会では、各々理解の進捗が異なる30~40人の生徒全員に同じ指導を行う学習スタイルは、あまりに効率が悪い。これからはAIなどの技術(本書はポリテクニックについて論じた本です)を駆使して、各々が自分にとって必要なこと、大切なことを自分のペースで学んでいくスタイルが求められるのではないでしょうか。

 

義務教育後の高等教育にも変化が必要です。

高校でも義務教育の時と変わらず、「これを勉強しなさい」と言われるがままに学び、与えられた問題の答えを暗記等により導き出せればそれでよかった大学入試をクリアし、入学後はそれほど勉強しなくても卒業できる(「習得した」ではなく、「履修した」で単位が取れる)。私自身もこのような学生生活を送っていたので感じるのですが、我が国は高等教育からの改革が必要なのではないかと思います。

 

自ら問題を設定し、その解決を考えていく「Ph. D的な学習」。

落合氏は、Ph. D、つまり、博士課程で行われている教育とおっしゃっていますが、私はマスターコース(修士課程)の教育も同様だと思っています。要は、自分は今、何を学ばなければならないのかを客観的に考えながら問題を解いていく、あるいは、課題は何なのか自分で設定して、その解決を考える主体的な学習です。

 

2020年から始まった我が国の新しい学習指導要領の3本柱の1つに、「未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力」があります。簡単に書いてありますが、これは相当に難しいことだと私は思います。少なくとも、私がこれまでに日本で受けていた(受動的な)教育では対応できないと思います。

 

もちろん、この柱を掲げている以上、我が国の教育も変わっていくものと期待しているのですが、まさに、未知の状況にも対応できる人材、つまり、自分で問題設定し、自分の頭で考えて行動していける人材というのは、上述した「Ph. D的な学習」(自ら問題を設定し、その解決を考えていく学習)から育つ人材なのではないでしょうか。

 

このような教育は、従来の教員(先生)だけでは担えないと私は思います。

一方的に教える知識や技術がある教員が必要なわけではないのです。

なぜなら、初等教育はAIを駆使して個別最適な授業ができるようになると思いますし、高等教育では生徒各々が自分で問題を設定し、主体的に学習していくようになるからです。むしろ、そのような教育で必要な人材というのは、普通に社会で働いている大人(社会人)なのではないでしょうか?

 

かなり斬新なアイデアなのですが、株式会社ドワンゴの川上量生取締役CTOが提案する「徴教師制」というアイデアが面白いと思っています。「徴兵制」ならぬ「徴教師制」です。裁判員制度のように、社会で働いている人を対象に抽選をし、選ばれた人は一定期間教師を務める義務があるという制度です。

 

確かに、学校の先生方には科目や教科を教える知識と技術があります。しかし、大学を出てすぐに教師になる人が多く、学校という社会しか知らない先生が多いことも事実だと思います。そのような先生方だけに、社会とは何かを教える役割を担ってもらうことには無理があると思いますし、無責任だと思います。社会とは、まさに、答えのない世界であり、未知の状況であっても対応していかなければならない世界です。第一線で働いている社会人に問題提起してもらって課題を設定する、寄り添ってもらってその解決方法を考える、といった主体的教育がこれからは必要なのではないかと考えます。

 

2021年1月8日 船橋市議会議員 石川りょう

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