2011年7月9日に、世界で最も新しい国・南スーダンが誕生しました。日本政府は、まさに同日、南スーダン政府と国交を結び、大使館を設置する準備に入りました。私は、この準備のために南スーダンに派遣される最初の常駐外交官7人の中の1人に選ばれました。業務はスーダン時代と同じく、開発協力と経済分野を担当しました。

 南スーダンは、長い内戦を経て、イスラム教国スーダンから独立したキリスト教国ということで、国際社会からの注目度は高く、さらに、独立したばかりということでほとんど開発されていない状況だったということもあり、さながら欧米諸国や国際機関からの援助のメッカとなっていました。欧米諸国や国際機関は、競い合うように、南スーダンに対する援助方針や開発計画を策定し、国際会議を連日のように開催するなど、主導権争いを繰り広げていました。我が国も、南スーダンの開発に資するべく、同国の開発計画と日本政府にできる援助分野とを勘案し、開発援助方針を策定することになりました。私は、外務本省やJICAと協力し、南スーダン政府の理解を得ると同時に、他の援助国とも調整しながら、援助方針の策定に従事しました。                

 私は、このように各国の思惑がひしめく、世界で最も新しい国での外交を経験し、国同士の駆け引きや、主張、交渉などの政治力学を目の当たりにしました。その中でも、外交官は自国の立場や考え方を主張しなければなりませんし、自国の存在感を高めなければなりません。圧倒されていては何も始まらないのです。私は南スーダンで、たくさんの国際会議や式典に参加させていただき、日本の立場や考え方を発表したり、ときにはスピーチをするなどして、国際場裏での場数を踏んできました。

                   

  さらに、我が国の援助方針の策定に関しては、予算や人繰り、そして国策など、様々な事情を考慮して作らなければならないことを身をもって学びました。それまでは、援助の受益者である途上国の人々のことだけを考えていればよかった私が、より大局的な視点をもって物事を考えられるようになったと思っています。つまり、私は、援助の受益者と実施者の双方の視点を持つことができるようになったということです。これを政治に置き換えれば、市民と為政者の双方の視点をもって政策を立案したり、決定できるということです。

  なお、南スーダンは、現在、自衛隊が世界で唯一、国連平和維持活動(PKO)を実施している国です。私の在任中に、自衛隊の皆さんを受け入れる準備のお手伝いをすることができました。自衛隊の皆さんとは、厳しい環境の中で、力を合わせて一緒に活動していました。

2014年12月7日 石川りょう
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