皆さん、こんばんは。
千葉県船橋市から石川りょうです。

私の公式ホームページにも書いていある内容なのですが、政治活動の一環として、皆さんに少しでも私を知っていただく目的のために、私のこれまでのプロフィールを、シリーズご紹介させていただこうと思います。今日は、生まれてから高校生までです。

【1980年(昭和55年)11月15日生まれ】
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 母親に今でも常に言われるのは、私は「本当にわんぱくだった」ということです。毎日、暗くなってもずっと外で遊んでいたり、迎えに来てもなかなか帰ろうとしなかったり、帰らせようとすると大泣きしたり、台風の日には水たまりで泳いでいたり(笑)…など、本当に手がかかったそうです。私に手がかかりすぎて、次男の面倒を見ることができないほどだったと言います(笑)。
 
 しかし、そのおかげか、体も心も健康な子になったと思っています。私のパワーの源は、まさにこの時代に作られた賜物だと思っています。私のわがままに嫌と言うほど付き合い、寄り添ってくれた両親に、心から感謝しています。
 
 そんな両親に育ててもらったおかげで、小さい頃からの私の夢は、「将来は人のために働く」ということでした。



【1987~93年 船橋市立芝山西小学校】

 私のもともとの性格は、「内気で極端な恥ずかしがり屋」です。毎日のように遊んでいた幼馴染を、自分からは直接遊びに誘うことができず、二つ下の弟に毎日頼み込んでは、弟から誘ってもらうようにしていた情けない兄でした…。
 
 今でこそ、表面上は、そんなことがないように繕っているので、周りの皆さんからは、そうは見えないと言われますが、もともとの性格は変えられるものではありません。今でもアドリブは苦手ですし、人の前に立つということに抵抗があります。しかし、だからこそ、自分に慢心するということがありません(正確には「慢心できません」)し、事前にしっかりと準備をできる人間になったと思っています。
 
 その反面、自分の名前である「亮」の由来となった「三国志」の諸葛亮孔明に強い影響を受け、英雄に憧れるという一面もありました(笑)。

 そして、父親と一緒に見た、紛争に関するテレビのドキュメンタリー番組から、「なんで世界には、自分と同い年くらいなのに、紛争や飢餓、貧困に苦しんでいる子どもたちがいるのだろう」と、アフリカに関心を持ち始めたのはこの頃のことです。 


【1993~96年 船橋市立芝山中学校】
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 内気で恥ずかしがり屋だった私の性格を、少しだけ外向きに、そして積極的なものに変えてくれたのがこの時期です。

 野球部に入部し、チームワークの大切さを学ぶとともに、苦楽を共にする大切な仲間を得ました。この仲間たちに背中を押してもらう形で、生徒会長になったことが、その後の自分の人生を変える転機の一つになったと感じています。

 担任の恩師に「りょう、やってみない?」と何気なく誘われたことがきっかけでしたが、「こんな自分でもできるのかな?」と迷っていたときに、「りょうならできるよ」とか、「りょうがやるなら自分も一緒にやるよ」などと、私の背中を押してくれたのが仲間たちでした。

 私たちの目標は、「全校生徒に、生徒会に興味を持ってもらうこと」。それまで、「がり勉」とか「ダサい」というイメージだった生徒会を、やりがいがあって、カッコ良くて、みんながやりたいと思うような生徒会に変えてやろうというのが、私たちの野望でした。そのために、毎日の生徒会活動をオープンにしたり、目安箱を設置して生徒の意見を聞くようにしたり、生徒会長のスピーチを少しドラマチックにしてみたり、行事を生徒たちと一緒に作っていくようにしたりと、様々な取組を行いました。その成果もあってか、私たちの次の代の生徒会選挙は、芝山中学校史上初の競争選挙となったのでした。

【1996~99年 千葉県立八千代高等学校】

 中学校時代に大切な仲間を得たのはとても良いことだったのですが、反面、仲間たちがいなければ何もできなくなってしまった私のことを見抜いた恩師から、「りょうは、友だちと一緒じゃないと何もできない」と言われたことから一念発起し、「それならば、知り合いの誰もいない学校に行ってやる!」と思い、隣の市の高校に進学しました。

 高校でも、中学に引き続き、生徒会長を務めさせていただきました。写真は、生徒会の顧問の先生方と。

 3年生のときに、友人に誘われて何気なく見学に行った早稲田大学。一目惚れして、どうしても早稲田大学の政治経済学部に入りたいと思い、高校卒業時には、同校同学部のみを受験し、あえなく敗戦…。両親に、1年間浪人させてもらい、「三当四落」(3時間睡眠で勉強に打ち込めば合格し、4時間も眠ると落ちる)という言葉通りに、私なりに一生懸命勉強したつもりでした。しかし、結果は再びの敗戦…(泣)。ただ、浪人中はさすがに早稲田の政経だけを受験するほどの大博打を打てなかった私は、他に合格をいただいた大学に進学することになりました。

 本当に一生懸命やったのにダメだったという意味で、私にとって初めての挫折の経験でした。しかし、今から考えれば、この挫折の経験は、私の人生にたくさんのポジティヴな影響をもたらしてくれていると思います。


次回は、大学生時代をお伝えさせていただきます。

2014年11月16日 石川りょう
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