皆さん、こんばんは!
今日の私のブログは、本当にただの独り言(つぶやき)です。

先週の大学院の授業で、ネット選挙解禁に関し、私の尊敬する教授が執筆された記事を拝読したのですが、どこをどうなったらそうなったのか、「中国の今後」にまで思いを巡らせてしまいました!(笑)

先生の記事の趣旨は、2013年7月の参議院議員選挙では、我が国ではじめてネット選挙が解禁されたが、その効果は限定的で盛り上がりに欠けたというもので、その根本原因を、我が国における塾義民主主義の未成熟に求めています。

日本では、民主主義の制度は整っていますが、機能していない。

やはり、明治以来、いや、大宝律令の制定以来、官僚による政治体制が確立したからか、政治はお上に任せるものという意識が、国民の間に強いのでしょうか。

戦後の高度成長期には、国民がみんな、「経済成長」と「国土の均衡な開発」を目標に同じ方向を向いて頑張っていました。こういう時代には、いわゆる「お上」が主導するトップダウンのやり方が効果的・効率的であったと思います。その証拠に、我が国は、当時、世界第2位の経済大国に上り詰めたのだと思います。

しかし、ある程度の経済的な成功を収めると、人が見る方向は、当然「経済成長」だけではなくなります。休暇の重視、余暇の追求、やりがいを求める働き方、働く場所を重視すること、女性の社会進出、社会企業やNGOという働き方等々…。

こういういわゆる「多様性の社会」にあっては、「お上」が主導する全国画一的な政策などは通用しなくなると思うのです。

そういう時代には、多種多少な個人が主体的に努力することが求められる。そして、政治では、最も小さい単位である地方自治体が独自の個性や特徴を活かして努力していく時代になると思っています。


これが中国の場合どうなるのか?

中国はこれから間違いなくさらに発展し、国民一人ひとりの生活の質も向上することと思います。ある意味、日本が果たしたような経済成長を達成すると思うのです。

そうなったときどうなるのか?

日本は、大宝律令以降、「お上」に任せるという、ある意味、穏健な国民性であったために、現在でもその政治体制を保っていられる。

しかし、中国は長く群雄割拠の国。
経済成長を達成し、国民の追求するものが「経済発展」以外のものを向き始め、多様性が醸成されるとどうなるのか?・・・・・・・。

ふと、こんなことを考えてしまいました。

石川亮(いしかわりょう)