私のプロフィール(延長)です。



【2011年~2012年 在スーダン日本国大使館2等書記官(ローカルランク)経済・経済協力担当】

外交官となる。

スーダンという北アフリカの国における我が国大使館で勤務する。

このスーダン、私がこれまで働いてきたケニアやタンザニアとは全く異なり。民族もアラブ系。宗教はイスラム教の国です。私が赴任した当時(2011年5月)のスーダンは、南は南スーダンの独立を7月に控え、西はダルフールの問題を抱え、東でもスーダンからの分離独立をめぐる動きが見え隠れしていた時期であり、不安定な時期だったのです。スーダンは広大な国土を有し、アフリカにおいてイスラム世界とキリスト教世界の境界に位置し、石油も出る。そんなスーダンに対する我が国政府の支援方針は、「アフリカ全土の安定のためにスーダンの平和の定着を実現すること」です。


私は、そのスーダンに、経済・経済協力班の一員として赴任しました。これまで国際協力の世界で働いてきた経験を活かして、スーダンに対する我が国の援助方針を策定する、JICA等によるスーダンへの支援プロジェクトをより効果的・効率的に実施できるようにする仕事です。経済に関しても、スーダンは上述したように産油国であるため、我が国企業が石油を買い付けている例もありました。石油をはじめとした経済関係情報に関してもフォローする業務です。


経済に関する我が国とスーダンとの一大イベントとして我が国政府及び民間企業によるスーダン及び南スーダンへの「アフリカ貿易・投資促進官民合同ミッション」が2011年10月に実施されました。このときの在スーダン日本大使館は、スーダン政府及び南スーダン政府高官(大統領や副大統領等)とのアポ取り、大規模な会議実施のための準備、ミッションの受け入れ態勢の構築等、てんやわんやの忙しさでした。


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我が国とスーダンとの間の貿易及び投資を促進するために開催された会議でのバナー


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スーダンの首都ハルツームで開催された貿易・投資促進のための会議の様子



日本の皆さんに是非とも知っていただきたいのは、経済のことだけではありません。我が国は、全世界の発展途上国に対して、政府開発援助(ODA)を実施しています。スーダンに対しても例外なく実施しているのです。


スーダンは、同国西部ダルフール地域での内紛(虐殺という言い方もある)が200万人にも上る死者及び大規模な村落の破壊につながったとして、欧米諸国から非難を浴びており、特に米国からは経済制裁を科され、さらにはスーダンのバシール大統領は、2003年より国際刑事裁判所から、ダルフールでの虐殺に関与したとされ逮捕状が出されています。


このように、政治的には様々な問題を抱え、混迷しているスーダンであるが、内政や一部為政者を除けばイスラム教の教えを厳格に守る平和的な国民なのです。首都ハルツームこそインフラも整い、豊かですが、ハルツームから一歩外に出れば、そこはまさしく第三世界です。経済制裁により、欧米諸国との取引が制限され、さらには、南スーダンの独立により、約4分の3の石油収入を失ったスーダン経済は、まさに危機的状況にあるのです。そこには困っている人たちが大勢いるのです。食料も水もなく苦しんでいる人々がいるのです。ダルフール問題等から積極的な支援をできない欧米諸国(小規模には実施しています)に代わって、誰かが支援をしなければ、スーダンの人々を救えない、さらにはスーダンという国家を崩壊に導き、地域の安定を脅かしかねない。地球市民として、大国として、我が国は黙って見ているわけにはいかないのです。


付言するとすれば、このような経済支援は、スーダンや途上国のためだけではないと思うのです。日本国民のためでもあると考えます。私は皆さんに是非見ていただきたい。聞いていただきたい。我が国支援によるプロジェクトの開始式や引き渡し式典の様子を。そこで述べられる相手国政府高官による我が国への感謝の言葉を。我が国は間違いなく世界中の国から感謝されています。もちろん、例外もありますが、皆さんが海外旅行などに行き、日本人と言って嫌な顔をされたことがありますでしょうか?もちろん、民族的な東洋人差別という意味で、からかわれたり侮蔑されたりすることはあると思います(私もこれまで何度もあります)。しかし、日本人と言うと、大抵の人は好意的になってくれます。そういった世界での名声及び地位の確立に、我が国による経済支援が間違いなく貢献しているのだと思います。現在の日本人に必要なことの一つに「自信を持つこと」があると私は考えています。そのような感謝の言葉を聞けば、様子を実際に目の当たりにすれば、自ずと我が国、そして自信に対しての自信とやる気が湧いてくるものと確信しています。

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我が国支援による職業訓練の様子

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ダルフール出張時、空港でのスーダン人からの歓迎の様子


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ダルフールの街。街中にはいまだに武装した車や兵隊などがたくさんいます。

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JICAプロジェクトの開始式典の様子。支援を約束する書面に署名をしています。


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スーダンのエア・フォース1の前で(バシール大統領の飛行機)


スーダンには歴史も遺跡もあります。

エジプトほど大きくはありませんが、北部にはピラミッドもあるんです。

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山の麓にある古代遺跡


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スーダンのピラミッド




【2012年~2013年 在ジュバ(南スーダン)日本政府連絡事務所2等書記官(ローカルランク)経済・経済協力担当】


南スーダンは、2011年7月に誕生した世界で最も新しい国です。

その南スーダンに、私は2012年9月から赴任しました。


独立の歓喜と希望に満ちた式典から1年経ちましたが、独立からの船出は厳しいものとなりました。まず何より、長い内戦の影響により人材が育っておらず、同国における初等教育(小学校レベル)就学率は2010年でわずか44%、読み書きができない人の割合は85%にものぼります。さらに、統一スーダン時代に開発から取り残されてしまっていたため、道路、橋等の基礎インフラがほとんど整備されておらず、独立直後の舗装道路の全長が国全体で60kmしかなかったというほどです。


独立後はスーダンとの関係が悪化し、国境線を巡る争い及びお互いの政権転覆を狙う反政府勢力との争い等から武力衝突が発生し、国境を封鎖して交易を停止しました。さらに2012年1月、南スーダン政府は、スーダン政府が南スーダン産の石油を不当に搾取しているとして国家収入の98%を占めていた石油生産を止めてしまったのです。これらの結果、南スーダンには20万人を超える難民及び国内避難民が発生。経済面では物価が著しく高騰し、政府の歳入不足から厳しい緊縮財政を採らざるをえなくなっています。


現在南スーダンでは、我が国を含む各国が、難民や国内避難民に対する食料援助、水及び保健医療といった緊急人道援助を中心に支援を実施しています。


さらに我が国は、長期的な視点に立って、南スーダンの自立を後押しするための開発支援に力を入れています。JICAは独立前の2007年から南部スーダンに事務所を開設し、同国の安定的な経済発展に寄与することを目標に、主に道路・橋梁・給水施設整備等インフラ分野を中心に支援を行っています。


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2011年10月、官民合同ミッションの南スーダンでの様子


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JICAによるプロジェクト式典の様子


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我が国による南スーダンの首都ジュバにおける道路・橋梁建設完成式典の様子

そして、20121月からは、約330名の我が国自衛隊も国連平和維持活動(PKO)に従事するために、南スーダンで活動中です。現在、自衛隊は南スーダン政府、国連機関、そして我が国援助関係者等と協力して、スーダンからの帰還民の一時停留所の整備、ジュバ市内の道路整備、国連軍の宿営地整備等に懸命に従事しています。


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自衛隊到着時のジュバ空港の様子(出迎えるのは我が国政府関係者及び南スーダン政府関係者)


日本のNGO組織や国際機関に従事する日本人職員は、現在約30名。南スーダン全土で活躍中です。このようにたくさんの日本人が過酷な生活環境の中で懸命に汗を流しています。我々の思いはただ一つ。「世界で最も新しい国の自立と発展のために」なのです。

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南スーダン警察による式典時のバシール大統領


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栄養失調状態の南スーダン人の子ども


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南スーダン国内避難民やスーダンからの南スーダン人帰還民が一時的に滞在する施設の様子


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我が国とユニセフによる共同事業


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南スーダンを流れるナイル川


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南スーダン腎の大切にしている牛。日本では見たこともないくらいのでっかい角を持つ牛もいる。


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マーケット(市場)の様子


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職場の看板の前にて


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自衛隊の基地の中で同僚や自衛隊員たちと