今日は、私(石川りょう)のプロフィール後半です。


しかし、最初の2項目だけで大分長くなってしまったので、続きはまた明日にさせてください。ごめんなさい。




【2007年~2008年 英国マンチェスター大学大学院Institute for Development Policy and Management(開発政策マネジメント研究院)「開発プロジェクトの運営管理」修士課程修了】


・ 青年海外協力隊の経験により、自身の知識と経験不足を痛感したため、右を補うためにもっと勉強するべく開発学の進んだ英国の大学院へ進学する。開発学の中でも特に、修了後すぐに知識を活かせる実践的なコースをということで、「開発プロジェクトの運営と管理」コースを選択する。


・ 期待に胸を膨らませて臨んだ留学生活だったが、授業やディスカッションでまったく発言することができず、クラスメートたちに「無い者」と思われる。日本では雄弁で目立ちたがり屋だったくせに、外国人(特に白人)を目の前にすると、コンプレックスから、すっかりビビリになる自分に意義き消沈し、情けなさのあまり思い悩む・・・。一重に一歩踏み出す勇気がなかった。


・ ひょんなことから、JETプログラム等で英語教師として日本に3年程度住んでいたことのあるクラスの中心人物Ryan(英国人と伊人とのハーフの南アフリカ人)と意気投合し、様々な教えを受ける。「日本人は、リーダーシップとは弱い者を助けることだと誤解している。しかし、欧米では、リーダーシップとは、いかに場を支配できるか、集団を自分の思っている方向に導くけるかだ。」もちろん、上記はアグレッシブなRyan個人のリーダーシップ論であり、欧米人の通念ではない。しかし、心の片隅で「なんで周りのみんなは何もしゃべれない自分を気遣ってくれないんだ。」と他人のせいにしていた私はこの言葉で吹っ切れた。「よし、やってやる!」それからは、授業やディスカッションでは、なるべく一番初めに発言をするように心がけた。議論が始まってしまうと、ついていくことでいっぱいいっぱいとなり、とても発言することはできない。私のような者は、議論が始まる前に口火を切っておき、あとはフェードアウトしていくが、存在感だけは残しておくというやり方で一目置かれるようになっていった。


・ あとは、話せない分はテストや論文で取り返してやろうと、圧倒的な時間をかけて勉強量や読書量を増やす努力をした。大学の図書館は朝8時に開館であったが、私は、毎朝7時45分に扉の前に並び、必ず図書館に一番に入っていた。授業時間以外は、毎日同じ席に座り、朝から晩まで勉強した。いつしか私の周りの席に座るメンバーは決まった人になっていき、違う学部やクラスではあったが毎日顔を合わせるようになり、一緒に昼食をとったり、休憩したりと仲の良い図書館コミュニティができた。さらには、毎日一番最初に図書館に入り、決まった席で、朝から晩まで勉強していたため、図書館の職員たちとも仲良くなった。留学生活も終わりにさしかかった頃、ある図書館職員が、「よぉ、亮!今日はこんなもの作ったぞ!プレゼントだ!」と言って、私のフルネームが入ったプレートを差し出してきた。「これをお前がいつも座っている席に置いといてやる。ここはもうお前の名誉席だ。」もちろん、そのネームプレートは、厚紙で作られた簡単なもので、冗談ではあったが、無性に嬉しかった。


・ 修士論文では、ケニアで住民たちと何回も実施した参加型開発手法「PCM手法」について執筆した。PCM手法を学術的に研究するのみならず、タンザニア南部ネワラ県に赴き、県庁職員及び地域住民と共に3日間に及ぶPCMワークショップを実践した。右ワークショップの結果、地域の特産品であるカシューナッツの加工プロジェクトが立案され、そのプロポーザル(企画書)を県庁に来年度の新事業候補として提出した。


・ 自分で言うのもなんだが、右努力のかいもあり、最終的にはクラスで3位(12人中)の成績で卒業できた。Distinction(最高位合格)は取れなかったが、次点のMerit(優秀)を取ることができた。


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マンチェスター大学のメインビル(お城みたいで素敵だった!)



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タンザニア南部ネワラ県チフィンディ村にて地域住民たちと参加型開発ワークショップを行っている様子



【2008年~2011年 開発コンサルタント会社 ICNet株式会社勤務】


・ 初めてプロ(お給料をいただく者)として国際協力に携わる。


・ 初めは日本国内から世界各国で行われている開発プロジェクトの経理や精算、そして開発プロジェクトのプロポーザル作成支援等、見習い的な業務から始まる。


・ PCMを専門としていたことから、徐々に同社が実施しているPCM研修の講師を務めるようになる。そして、日本プロジェクトマネジメント協会公認「プロジェクトマネジメントスペシャリスト(PMS)」の資格を取得し、同じく同社が実施しているPMS講習の講師を務めるようになる。学生時代に大手進学塾の講師をしていた経験、そして、妥協無く講義の準備と練習を行っていたため(時間をかけ過ぎで、もっと効率的に準備しろという助言もいただいていましたが・・・)、受講生からの評判は上々だった。


・ 念願の開発プロジェクトの団員となる。国際協力機構(JICA)による「フィリピン国ムスリム・ミンダナオ自治区(ARMM)人材育成プロジェクト」に「研修運営管理モニタリング専門家」として携わる。同プロジェクトの背景として、ARMMは同国内の他地域と比べて貧困率が高く、さらに、キリスト教徒人口が多数を占める同国の中にあってイスラム教徒を多く抱える異色の地域であるため、同国政府より自治区として認められているものの、独立を求めてモロ・イスラム解放戦線(MNLF)を中心に長期にわたる内戦が行われていた。この内戦の影響により、ARMM政府の人材不足及び制度の未整備等による行政能力の脆弱性は深刻であった。上記を踏まえ、ARMM政府職員の能力向上を図り、地域の経済発展を実現することによって、ARMM地域の平和構築に資することを目標とした、ARMM政府中堅職員に対する経済開発、インフラ開発、行政開発、人事情報システム開発の4分野における研修を行う同プロジェクトが実施された。


石川りょう 政治家への道











フィリピン人同僚及びその友人たちと



明日は以下の内容についてです。



【2011年~2012年 在スーダン日本国大使館2等書記官(ローカルランク)経済・経済協力担当】




【2012年~2013年 在ジュバ(南スーダン)日本政府連絡事務所2等書記官(ローカルランク)経済・経済協力担当】