レベル1から政治家を目指すわけですが、石川りょうのプロフィールを洗い出します。


チョット長くなりそうなので、前半と後半に分けて書きます。




【2004年 立教大学法学部国際比較法学科卒業】


・ ESS(英語のサークル)スピーチセクションに所属(英語ができるようになりたかった。しかし、この頃は英語が全然できませんでした…(;^_^A)


・ ゼミでは日本政治史を勉強(いい先生と仲間たちに恵まれました!)


・ 今は引退された元民主党代議士 井上和雄先生のもとでインターン(先生はユニセフ(国連)職員から国会議員へ転身されました。国際協力から政治家へ。私が目指すキャリアを実践されている方でした。)


・ 2年生のときににフィリピンへ、3年生のときにはスリランカへ、それぞれボランティアキャンプに参加(国際協力の世界を目指す直接のきっかけになったのはこの体験でした。)


・ 4年時には「立教大学国際協力サークル(RICC)]を創設。メンバー募集からサークルの組織・基盤作り、活動内容の創出に奮闘。国際協力の第一線で活躍する著名人を招待しての講演会の実施、NGOへの大学生インターンシップの斡旋、インドネシアへのスタディツアーの実施等を行いました。


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インドネシアスタディーツアー中、現地の大学生たちとRICCメンバーとの交流の様子


【2004年~2006年 青年海外協力隊村落開発普及員としてケニア共和国へ派遣】


・ ケニア共和国西部カカメガ県地域開発局に所属。カカメガは同国でも最も貧しい地域のひとつであり、同地域の活性化及び収入向上事業の実施に従事しました。


・ 初めは何をやっていいのかまったくわからず困っていましたが、学生時代に研修に参加して学んでいたProject Cycle Management(PCM)計画立案と呼ばれる参加型開発手法を用いて、地域の青年グループ、女性グループ等に対して「地域の問題は何か?」、「どうやったらその問題を改善できるか?」、「自分たちは何ができるか?」等を一緒に考えるワークショップを実施。右ワークショップを通じて考えだされた「商品作物栽培プロジェクト」、「淡水魚(ティラピア)養殖プロジェクト」、「地域交通(自転車タクシー)操業プロジェクト」等を地域住民たちとともに実施しました。


・ しかし、文化も習慣も言葉も考え方も何もかも違う人々との事業実施は困難を極めました(一番の問題は私の知識と経験不足でしたが…)。一緒に働いたケニア人メンバーたちとの数々の人間ドラマの中から得た教訓は、「全部自分だけでやろうとしてはいけない。自分の考え方等を押し付けてはいけない。彼らのアイデアや経験を活かすこと。人を信頼すること、任せること。」


・ 各事業の結果は・・・正直、お世辞にもうまくいったとは言えません。どの事業も地域に収入を生み出すことを目標にしたものだったのですが、地域全体が貧しいうえに、外部への交通手段も無い・・・。当たり前のことと思われるかもしれませんが、お金の絶対量が不足している地域でお金を生み出すことはできないのです。お金はあるところから引っ張ってこないといけないというのが教訓です。


・ ケニアは公用語が英語で国語がスワヒリ語。小学生から授業は英語で行われるため、ケニア人はみんな英語が上手!そんな彼らと一緒に仕事をするため。そして、この2年間の経験から自分の知識と経験不足を痛感したことから、開発学が盛んな英国への留学を目指すために、一生懸命英語を勉強しました!


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商品作物(ケール)栽培プロジェクトの様子。農園にてプロジェクトメンバーたちと。


【2007年 国連プロジェクトサービス機関(UNOPS)東京事務所インターン】


・ 人生の中で一度は働いてみたいと思っていた国際連合での仕事。インターンではあるものの、たくさんの仕事を任せていただきました。


・ 期間が短かったため、あまりたくさん書けないのですが、いい上司と同僚に恵まれました。






前半はここまでで。


後半は以下について簡単に書いていきたいと思います。




【2007年~2008年 英国マンチェスター大学大学院Institute for Development Policy and Management(開発政策マネジメント研究院)「開発プロジェクトの運営管理」修士課程修了】


【2008年~2011年 開発コンサルタント会社 ICNet株式会社勤務】


【2011年~2012年 在スーダン日本国大使館2等書記官(ローカルランク)経済・経済協力担当】


【2012年~2013年 在ジュバ(南スーダン)日本政府連絡事務所2等書記官(ローカルランク)経済・経済協力担当】