yuuhi
西岸良平の言わずと知れた代表作。
古き良き昭和30年代の町並みや生活を描いたほのぼの漫画。
ビッグコミックオリジナルで長期連載されていた。

最近、堤真一や小雪が出演する映画
「ALWAYS 三丁目の夕日」で実写版として公開。

..学生の頃、友人から「読んでみない?」
って「三丁目の夕日」の単行本を数冊貸してもらった。
すごく面白かったのを覚えている。

..僕らが幼い頃は近所の人が仲がよかった。
僕らは3歳くらいでも、まったく安全に外で遊べた。
遠い記憶だけど、知らない大人からよく叱られた。
「道路へとびだすな!」とかね。現代よりも人の心と
心の距離が近かったかもしれない。

さて、漫画「三丁目の夕日」だけれど
印象に残っている話がある。


昭和33年ごろ。テレビも家庭に普及していなかった。
..季節は冬。もうすぐクリスマス。

父ちゃんは季節労働者。この寒い時期には仕事が
ないので、家で酒を飲んでごろごろしてる。
だからいつも母ちゃんとケンカばかりしている。

僕と弟はいたたまれなくなって、外へとびだすのだ。

僕と弟は小学生。家にテレビがないので
近くの電気屋さんまで見に行くのは楽しみだった。

ショーウインドウにへばりついて
テレビを見る。なにやら外国のドラマだ。

テレビの中の家族はとても仲がよく..
綺麗なお母さんが作る豪華な食事。
クリスマスなので飾り付けられたツリー。
可愛いドレスをきた幼い子供の手には
大きな箱のプレゼントが。

「兄ちゃん..あれなあに?」
弟は見たことも無い、煌びやかなシーンに
何度も僕にたずねた。

「(..あーあ。僕もあんなお金持ちの家に
生まれたかったなぁ..)」

いつも、かなわぬ夢を描いたものだ。

......

ある日の朝、なぜか上機嫌な父ちゃんの姿が
あった。ひさびさ競馬に勝ったらしい。

「おー坊主ども、きょうは外へ飯を食いにいくぞ!」

「母ちゃんも早くしたくしな。」

ニコニコ笑顔でそう言われて、母ちゃんも困惑気味だ。

はじめての外食!

..胸おどらせて、町へ出る僕ら。
母ちゃんが近くのラーメン屋を指差して。
「ここでいいよ..。」
「なに言ってるんだい。あっちのレストランへ行こう。」
父ちゃんは母ちゃんの手をとっていった。

..初めて見るレストランはなんだか別世界に見えた。
そこで食べたハンバーグステーキ。すごい!うまい!
弟が
「..あのテレビでみた親子みたいだね..。」
「そうだな。ほんとうにそうだね。」

僕らは最高にしあわせだった。

............

..それから1ケ月後。父ちゃんは死んだ。
酒に酔って、道で寝ていて車に轢かれたのだ。

母ちゃんは 号泣していた。

僕ははじめて母ちゃんは父ちゃんを
大好きだったのだと知った。あんなにケンカばかり
していたけど。

...あれから、多くの時が過ぎた。
僕にも今は家庭がある。
あの時のように貧しくは無い。ハンバーグステーキ
くらいいつでも食べられる。

でもあの時食べたハンバーグの味が一番だった
っていまでも、そう思うんだ。


僕がまだ博多で働いていた頃の話。

関東の方なんかには想像しにくいと思うが
博多(福岡)の交通の中心は路線バスだ。
山手線みたく5分おきにどの停留所にもバスはやってくる。

このバスは9割がた西鉄(西日本鉄道)のものである。
西鉄はむかし今の西武ライオンズの前身
西鉄ライオンズという野球チームをもっていた。

..その日は暑い夏の最中で、僕はいつものように
汗だくになりながら客先をまわっていた。
コンピュータのシステムエンジニアをしていた僕は
たくさんの顧客をかかえていた。
そして、その日は博多の郊外へもでかけることになっていた。

バスは電車みたく時刻に正確ではない。
ただ、これが博多の中心街であればしょっちゅうバスは
往来しているのでさほど問題にならない。
しかし、郊外へむかうバスは少し事情が違っていた。
1時間に2本程度の発着しかない。

お客様のところへの訪問が少し遅れそうな
感じだったので、あわてて僕はバスにのりこんだ。

あらい呼吸をととのえつつ、ようやく椅子に座った。
バスの中はエアコンが効いておらず、その蒸し暑さに
さらに苛立ちを覚えた。まわりの乗客もそろって
不快な表情をうかべている。

..しばらく 走ると町並みはだんだん田園風景へと
変わる。これが休日ならのんびりと楽しめたりするの
だろうけど..客先に遅れたらたいへんと、内心
そんな場合じゃなかった。

..ある停留所で、年配のご婦人がバスから
降りられた。

足が悪いらしく、時間をかけてようやくバスの外へ
でられた。

つづいて、若い男性が降りた。彼はご婦人の手をとり
舗装されていない道をゆっくりと歩いていく。

「息子さんだな..親孝行な人だ。」
なんて考えてた。

「うん?」

気づいたら、いつまでもバスが発車しない。

「おいおい! どうしたんだよ!」
「遅れちまうよぉー」

とうとう我慢しきれなくなった僕は
バスの運転手に話をしようかと立ち上がった。

とその時である。さきほどの若者がバスへ
帰ってきた。

「..息子さんじゃなかったのか..」

... ...

バスの運転手は若者が乗り込むのを
確認し、何事もなかったように
「発車します」

まわりを、みわたすと乗客も
涼やかな表情をうかべ、にこやかな顔を
するばかりである。

バスはまた走り出した。

いつのまにか..さわやかに変わっていた風の中へ。
学生の頃、僕はバンドの練習にあけくれ
もうほんとに数多くのオーディションを受けた。

..いいところまではいくんだけど..もう一歩のところで敗退。
実は小さなレーベルには合格したこともあるんだけど
自分は東芝EMIとかCBSでなければ嫌だと、意地をはってた。


..季節は冬。

来春には大学も卒業で、就職を考えなければならないギリギリの
頃。僕は新宿のある公園のベンチに座ってぼんやりしていた。

「どうしようかなぁ..」

「就職して..それで音楽も続けるか..」
「いや このまま東京にいて音楽にうちこむべきか..」

..と ふと顔をあげると そこには焼きいもの屋台をひく
おじさんが そばに立っていた。

僕がよっぽどしょぼくれていたように見えたのか
優しく声をかけてくれた。

「にいちゃん、焼き芋を食べないか?残りもんだけどね。」

僕は当時アルバイト代のほとんどを楽器に費やしていて
極貧でもあったので、お金がないからとおことわりした。

「いやいや いいんよ。お金はいい。..さあ食べな」

そう言って、大きな焼き芋を半分に割ってくれて
差し出してくれた。

僕はお礼を言って、それを受取った。

芋はあたたかくて、美味しくて..今でもその黄金色が
鮮やかに思い出される。

..ベンチの僕の隣に座り、自分も芋を食べるおじさん。
故郷の話をされていたけど、僕はそのおじさんの手をずっと
見ていた。

..まっ黒く、ひび割れた手。田舎からでて来られて
どれだけの年数をこうやって屋台をひかれてきたのか..
おそらくは決してその色が手から落ちることは無い。

..自分の白い、綺麗な手はそのまま自分の心の甘さの
色だった。

自分もまずは一生懸命、仕事をしてみようと思った。


..今でも時々 新宿を歩くたび 耳をすます

あのおじさんが、屋台をひいてる音がするようで。