「ビューティ・コロシアム」の話。

容貌に劣等感をもつ女性達が美容整形やエステ、ヘアメイク
などを駆使して美しく生まれ変わるという番組。

僕のブログでも以前「フランケンシュタインの恋」という題で
とりあげた。

今回も様々に悩める女性達が登場。皆さん綺麗になられて
自信をもたれたようでよかった。
..でも気になった人がいた。
すごく太った女性で、もし痩せなければ結婚をとりやめると
相手の男性から言われたそうだ。

..結果的には痩せるのに成功して、めでたしめでたしなので
良かったのだろうが、そもそも痩せていなければ、つきあえない
ような相手の価値観は正しいのか?
彼女は2ケ月で20Kgも減量したが、それは命を削るほどの体の
酷使があったと思う。それを強いる権利が誰にあるのか。

もちろん病気をするほどの肥満であれば問題だが
そうでないかぎり容貌など気にするにも値しない。
痩せなくていい、そのままで充分に君はかわいいよ。


昔、こんな話を読んだ。

英国でのできごと。

..その科学者はノーベル賞をとれるほどの天才と
皆から賞賛されていた。

彼は生まれながらのエリートで、彼自身もそれを自負していた。
その才能を活かして医療の分野に身をおき、過去には類をみない
ほどの画期的な医薬品を開発して社会貢献していた。


彼の妻はたいそう美しい人だった。

..ただ唇のそばにある、やや大きめのほくろが
玉に瑕だった。

科学者は悩んでいた。彼にとっても奥さんの美しさは自慢だった
が、完ぺき主義者の彼はその妻のほくろが気になってしかたが
なかった。

そこで妻のホクロをとる研究をはじめた。どの研究よりも熱心に。
徹夜をすることも度々あった。

ついに..

彼はその薬品の開発に成功した。それはレーザなどよりも確実に
ホクロを消し去るものだった。

喜びいさんで、彼は妻にそれを直ぐに飲むように言った。

....渡されたコップの薬品を一気に飲み干す妻。

と どうだろう みるみる間に妻のホクロが消えていくではないか。

やった! 満面の笑みを浮かべる科学者の夫。



,,しかし 妻の容態が急変した。急に力なく倒れこむ妻。

「どうしたんだ?..」驚愕の面持ちで妻に駆け寄る夫。

既に血の気を失い、朦朧とした意識の中で妻は末期に
夫の手をとった

「..あなたは..大事なものを取り違えたの..」

そういって静かに目をとじ息をひきとった。ホクロが消えた顔は
夫が望んだとおりさらに美しかったろう。しかし薬はそれと
ひきかえに妻の命をも消し去った。

..彼女の亡骸を抱いて泣き崩れる夫の脳裏には、いつも
優しく自分をつつんでくれた、くったくのない笑顔が蘇った。

自分の愚かさをいくら嘆いても、それが再び彼女の顔に
宿ることはなかった。

いとうひろしさんの童話。

..僕が幼い頃、おじいちゃんはいつも僕と一緒に
どこへでも散歩してくれた。それはとても冒険心に
満ちていて楽しいものだった。

でも歩いていると怖い犬がいたり、車とぶつかり
そうになったり..

そんな時 おじいちゃんは僕の手を握って
「だいじょうぶ だいじょうぶ」 とおまじないの
ように言ってくれた。

それを聞いて僕はとっても安心できた。

そうして僕は成長していった。

...

..今、おじいちゃんは入院している。
今度は僕の番だ。

おじいちゃんの手を握って言うんだ
「だいじょうぶ だいじょうぶ」


ぼくも このおまじないを言ってあげたい人がいます。

「だいじょうぶ だいじょうぶ」
芥川龍之介の「杜子春(とししゅん)」 小説の再現 


春の夕暮れ、唐の都にぼんやりと空をながめている若者がおりました。
名は杜子春。
昔は大金持ちの息子でしたが、今は、食べるものにも困るほどでした。

『いっそ身を投げたほうが・・・』と考えていると、老人が突然現れ、
『何を考えているのか』と尋ねます。
そして金の埋まっている場所を教えると、煙のように消えてしまいました。

..一晩で大金持ちになった杜子春は、贅沢の限りを尽くします。
貧しい時は声もかけなかった友達が遊びに来るようになります。

しかし、金も底を尽き、3年目の春、とうとう杜子春が一文無しになると
誰も手を伸べてはくれません。


再び、ぼんやりたたずんでいるとまた老人が突然現れ、また金のありかを
教えてくれて消えてしまいます。

杜子春はまた大金持ちになり贅沢に暮らしました。
でもやっぱり3年も経つとお金はなくなってしまいました。

本当に懲りないこの青年は、またまた ぼんやりとたたずんでいました。
すると例のごとく老人が現れ、またも金のありかを教えようとしました。

しかし

杜子春は『もうお金は要りません。あなたは高徳な仙人でしょう?
 どうか私を弟子にしてください。』とお願いしました。

すると老人は杜子春を山奥に連れて行き
『何があっても 決して口を聞いてはならぬ!』
『..さすれば、おまえの望みも叶うだろう』
と言い残してどこかに行ってしまいました。

山奥の辺鄙な場所に取り残された杜子春をヘビが、トラが襲い、
雷が、嵐が吹きつけます。必死に耐える杜子春。

ついには天の神将が現れ
『おまえはここで何をしている?』と尋ねます。
『..黙っているのなら殺してしまうぞ!』

しかし決して杜子春は口を開きません。仙人との約束を
守り通したいのです。

ついに烈火のごとく怒った天の神将は杜子春をホコで突き刺して
しまいました。

..息絶え、身体を離れた杜子春の魂は地獄へと導かれます。

地獄には文字通り地獄の責め苦が待っていました。
..それでも口を開かないこの青年を不審に思う鬼たち。

そこで何とかしゃべらせようと鬼たちは、どこからか
痩せた馬を2頭連れてきます。

なんと

それはよく見ると馬の顔は杜子春の両親でした。

鬼たちは容赦なく鞭で馬を打ち据えます。
『どうだ?おまえは父と母がこんなめにあっても口をひらかぬか?』

暫く鞭の手をやめて、もう一度杜子春の答を促しました。
もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに
倒れ伏していたのです。

杜子春は必死になって、仙人の言葉を思い出しながら、かたく
眼をつぶっていました。

するとその時彼の耳には、ほとんど声とはいえない位、かすかな
声が伝わって来ました。

「心配しないで..私たちはどうなっても、お前さえ幸せに
なれるのなら、それより結構なことはないのだからね。」

「..言いたくないことは黙っておいで。」
 
それは確かに懐しい、母の声に違いありません。

杜子春は思わず、眼をあけました。そうして馬の一匹が力なく地上に
倒れた時、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。

母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に
打たれたことを、恨む気色さえも見せないのです。

大金持になれば御世辞を言い、貧乏になれば口も利かない世間の人たちに
比べると、何という有難いことでしょう。


杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、
両手に半死の馬の首を抱いて、はらはらと涙を落しながら、

「お母さん!」

と一声を叫びました。………


その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の
西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。

霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、--すべてがまだ山へ
行かない前と同じでした。

「どうだな。おれの弟子になった所が、とても仙人にはなれはすまい。」
仙人は微笑を含みながら言いました。

「なれません。..なれませんが、しかし私はなれなかったことも
かえって嬉しい気がするのです。」
 杜子春はまた涙を浮かべ思わず老人の手を握りました。

「いくら仙人になれた所で、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けて
いる父母を見ては、黙っている訳には行きませんでした。」


すると

「もしお前が黙っていたら..」と仙人は急に厳しい顔になって、
じっと杜子春を見つめました。

「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと
思っていた。」

「..お前はもう仙人になりたいという望も持っていまい。
大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。」

「ではお前はこれから、何になったらよいと思うか?」


「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
 杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていました。


「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には
会わないからな。」
 仙人はこう言う前に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて
杜子春の方を振り返ると、

「おぉ、今思い出したが、おれは泰山のふもとに一軒の家を持っている。
その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうがよい。」

「今頃は丁度、家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう。」
と、さも愉快そうにつけ加えました。

(おわり)


中国の「杜子春伝」を原作に芥川龍之介が
童話風にアレンジした作品です。
彼のヒューマニズムが原作にはないハッピーエンドを
描いています。

ドラマティックでクサイ演出ですが、これこそが
彼の真骨頂。分かりやすく、臆面もなく純粋な愛を
ストレートに読者にぶつけてこそ芥川作品なのです。

昨今の「芥川賞」作品にはこれがない。
地味で適度にまとまったものが多い。


..大正9年の作品ですが感動もテーマも
風化することなく色々と考えさせられます。