以前、こんな質問を受けました。
「アコさん、人には無限の可能性があるんですよね?私は、私の思いつくもの、何にでもなれるんですよね?」
これは、ある意味ではYES、ある意味ではNOなんです。
もう少し、ていねいに解説しますね。
例えばわたしは、絵を描いたり、人前で話したり、わかりやすく法則性を説明したり、なんてことはできますし、その分野に関してはいつも好奇心ムクムクです。
でも、生まれてこの方、
ラッパーになりたいと思ったことはありません。
ええ、本当に1㎜も。
そういう意味ではわたしはラッパーになれない(なりたくない)ので、「無限の可能性」を持っていません。
じゃあ、絵や文章や話すことに関しては…、やっぱり小さいころから「なりたいし、そうなったら幸せだな」と思い続けてきました。
途中、「やっぱり、そういった仕事は、選ばれた才能ある人だけのものなのよ…」と拗ねていた時期もありましたが、今はおかげさまで作家と講演家とイラストレーター(の駆け出し!)と言えるようになりました。
そういう意味では、やっぱり「なりたいものには、なれちゃう」んですよね。
以前にね、臨死体験をしたときに見えた世界があったんですが(それを言語化するのは難しいんですが)、
「ああ、時間の概念もないし、不安も恐怖もマボロシなんだな~」と感じました。(でも未熟だから、日常で何度も引き戻されるよ!笑)
「臨死体験なんてしたことねーよ!」って方でも大丈夫(笑)
私たちってね、普段眠っているときは「あちら側の世界」に還っているんです。
そういう意味では、眠っているときの方が目覚めているの。
起きたら、そのことはほとんど忘れちゃうけれど、
それでも、今の自分を構成するカケラみたいなものを、せっせせっせと拾い集めて還ってくることもあるんです。
あなたに思いつくことは、
あなたがどこかの時空から拾ってきた【あなたのカケラ】です。
目が覚めて日常に埋没していると、突拍子もなく思えるだろうし、多分「自分にはムリ~」と思えるでしょう。(実際、ムリ~のままで今回の生を終える場合もあります)
どっちでもいいのよ、やりたければやればいいし、怖けりゃ逃げ帰ってもいいし。
でも、思いついちゃったってことは、できる【芽】は持ってるんだけどねって話なのよ。
あとは…、自分が死ぬときに「ああ、楽しかった!」って死ぬか、「あれも…これも…やりたかった…ガクッ」って死ぬか、って話だけね(笑)
思いついたからって、本当にそうなれるかどうかは、誰にもわかりません。
無限(と呼べるほど沢山)の未来から、本当になりたいものだけを見て、「船をそっちに漕ぎ続けるエネルギー」は必要だからね。
思いついちゃったあなたをカタチにしてあげられるかどうかは、あなた次第です。
でも、もう気づいちゃったものは出したいし(ウ●コと一緒!)、出せないのって悔しいよね。
あなたに思いつくものに関しては
あなたはほかの誰よりも【無限の可能性】を持っています。
だったら、やっぱり出してあげようよ、ね。
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