わたしは昔から写真を撮られることが嫌いでした。

 

このブログの読者にも【自撮りが嫌い・苦手】という方は多いかもしれません。

 

でも実は「苦手」とか「嫌い」という感情が働く時には、その裏側に自分にしかわからないメリットが隠れているのです。

 

 

例えば、【私が写真を撮られないことで得られるメリット】はこうです。

 

「ぶさいくなくせに、調子こいて真ん中でピースとかしてんじゃねーよ」とか「足太い!」とか「白目むいてる!超ウケるww」とか

 

言われなくて済む。

 

 

 

え?何でそんな卑屈に考えるのって?

 

私が人の写真見て、そう思ってたからです。

 

 

ブスのくせに自撮りしてんじゃねーよ!とか、どんだけ自分大好き人間だよ!とか、自意識過剰でうぜー!とか。

 

 

自分が人をジャッジする癖があるから、自分もジャッジされると思ってしまう。

 

超性格わるいし、めんどくさいですよね。

 

 

その上、集合写真時には「あ、私撮りましょうか?いえいえ、いいんですよ!私撮るのは大好きですから」ということで、いい人アピールすることもできる(笑)。

 

 

 

 

別に性格悪いのがいけない、とかそういう話ではなく、感情が動いた時には【その根底にあるもの】を意識するようにする。

 

 

根底にあるものが見えてくると、次に同じことが起きたとき、自分をどう取り扱ったらいいかも見えてくると思います。

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

ゆるむ前のガチガチこじらせ系の私(20年前です!)

 

 

ステキなラベンダー畑にいるにもかかわらず、隣の母の一言「腕が太いから、ノースリーブ着るとみっともないわね」の一言で、世の中を呪う犯罪者スレスレの顔をしております。

 

 

 

 

20年後、現在のゆるんだ私

 

 

自分の選択とメリットを手離しながら、ゆるゆるゆるんでいきましょうとびだすうさぎ2キラキラ