岐阜県の昔話

昔、飛騨の高山に三木秀綱(ひでつな)という殿様がいて、一匹の白狐をたいそう可愛がっていた。白狐は若君の良い遊び相手でもあり、毎日お城の庭を駆け回って、若君と遊んでいた。

 

 

ところが天正十三年のこと、お城は豊臣勢に攻められて落城。殿様は討ち死にしてしまう。落城の際、若君とはぐれた白狐は信州の諏訪へ逃げた。そして人間の姿に化けると、その地に住む千野兵庫(ちのひょうご)という学者のもとを訪ねた。そして名前も蛻庵(ぜいあん)と改め、兵庫の弟子となった。

 

それから数年経ったある日、兵庫は蛻庵にこんな話をした。それは、秀綱公の若君は木曽の興禅寺で、桂岳和尚(けいがくおしょう)という立派な和尚になっていると言うのだ。これを聞いた蛻庵は、自分の正体を見破った兵庫が、興禅寺に行くように、それとなく勧めてくれたのだと考えた。

 

 

蛻庵は、兵庫に礼を述べた置手紙を残し、一路木曽の興禅寺へと向かった。白狐は、ここでも蛻庵と名乗って、桂岳和尚に弟子入りすることにした。数年ぶりに若君(桂岳和尚)に再会し、一緒に生活できるようになった蛻庵は、嬉しくてたまらなかった。

 

そんなある冬の初め、桂岳和尚は蛻庵に頼みがあると言う。それは、飛騨の安国寺に身を寄せている和尚の母上に書状を届け、ここ興禅寺に連れて来てほしいというのだ。

 

書状を預かった蛻庵は、飛騨の安国寺を目指した。しかし飛騨の高根の日和田(ひわだ)辺りまで来ると日が暮れてしまい、今晩は近くの猟師の家に宿を頼むことにした。

 

さて、猟師の男が鉄砲の手入れをしている時の事だった。蛻庵を何気なく銃口から覗くと、なんとそこには大きな白狐がいるではないか。この鉄砲は国友という名銃で、銃口から覗けば、どんな妖怪の正体をも見破ると言われている。

 

そこで猟師は家人が寝静まってから、蛻庵を撃ち殺してしまった。ところがよくよく荷物を見てみれば、そこには桂岳和尚の書状がある。

 

知らせを聞いた桂岳和尚は深く悲しみ、蛻庵を篤く供養した。また、日和田の村人も蛻庵を不憫に思い、興禅寺に祠を建てて蛻庵を祀ることにした。この時から、日和田は興禅寺の檀家になったと言う話だ。

 

出典:日本昔話データベース