長野県の昔話

昔、信州は戸倉山のふもとに長谷(はせ)の村があった。この村には清兵衛(せいべえ)という百姓がおり、この春には女房のお袖との間に子供も生まれ、幸せに過ごしていた。

 

ところがある日、赤子は戸倉山に住むつがいの大鷲にさらわれてしまう。このことがあってから、一滴の酒も飲まなかった清兵衛は、畑仕事もせずに人が変わったように大酒を飲むようになった。そんな清兵衛を見た村人は、「無理もない。人一倍子煩悩じゃったからのう。」と同情するのだった。

 

 

この様子を見かねたお袖の父親の三蔵は、一人で赤子の仇討ちに鉄砲をかついで戸倉山に登る。戸倉山の山頂で大鷲を待ち構えていると、果たしてつがいの大鷲が巣に戻ってきた。三蔵は1羽を首尾よく鉄砲で撃ち殺したが、つがいのもう一羽の逆襲で崖下に転落して死んでしまう。

 

三蔵を心配した村人が山に登ると、崖下には三蔵と大鷲の死体、それに血に染まった赤子のむつき(産着)が見つかった。父親も亡くし、赤子が生きているかもしれないという一縷(いちる)の望みも絶たれたお袖は、それ以後気が狂ってしまい、子守唄を歌いながら亡き子の産着をかかえて、あてもなく彷徨い歩くようになった。

 

 

これを見た夫の清兵衛は、いくら酒を飲んでも苦しみから逃れることはできないと悟り、息子の仇を討とうと決心。残る一羽を討つべく大鎌をもって雪の降るなか戸倉山に登る。それ以後、大鷲の姿を見ることはなくなったが、清兵衛も山から戻って来ることはなかった。

 

出典:日本昔話データベース