石川県の昔話

昔々、能登半島の小さな村に貧しい漁師の家があった。この家は子だくさんの上、母親が病気で薬も買えず、その日の暮らしもままならなかったそうな。そこで、六歳の男の子が総持寺(そうじじ)というお寺に奉公に行くことになった。

 

総持寺の和尚さんは男の子を了念(りょうねん)と名付け、簡単な味噌すりの仕事をやらせることにした。その頃、総持寺には何百人もの修行僧がおり、食事のために大量の味噌が必要だったのじゃ。ところが、味噌すり当番の三人の小僧さんは、了念に味噌すりの仕事を押しつけて遊びに出かけてしもうたそうな。

 

 

それで了念は、それまで三人でやっていた味噌すりを一人でやらなければならなくなり、くる日も来る日も休むことなく味噌をすり続けたそうな。そんな毎日の中で、了念は寺の境内のお地蔵様の世話をし、まるで仲の良い友達のように話しかけるようになった。

 

ある日、三人の小僧さんが了念の様子を見に味噌蔵にやって来ると、了念の姿はどこにもなかった。そうして見たこともない小僧さんが物凄い早さで味噌をすっておった。どこから来たのか、了念はどこへ行ったのか、三人が何を聞いても、その小僧さんはただにこにこと笑うだけじゃった。

 

 

了念は次の日ひょっこり戻って来た。そうして、お地蔵様の体が味噌だらけになっておった。三人の小僧さんが問いただすと、了念は信濃の善光寺に行って来たと言うのじゃった。お地蔵様が自分が代わりに味噌すりをしてやろうというから、善光寺に行って母親の病気が良くなるようにお願いしてきたという。あの味噌をすっておった小僧さんは、お地蔵様じゃったのじゃ。なんとも、不思議な話じゃった。

 

やがて了念の願いどおり、母親の病気はすっかり良くなり、了念もやっと家に帰れることになったそうな。そうして貧しいながらも一家そろって暮らしていくことができるようになったという。

 

それからこの不思議なお地蔵様は『みそすり地蔵』と呼ばれ皆に親しまれたということじゃ。

 

「出典:日本昔話データベース」