新潟県の昔話

貧しくて酒も飲めずに死んだ老人が、生まれ変わってトックリになる話。

昔、備前の国に小さな寺があった。この寺の和尚は怠け者で、毎日酒ばかり飲んでおった。

 

 

ところでこの寺では最近、夜中に奇妙な音が台所の方から聞こえてくるのじゃった。ある夜、たまりかねた和尚と小坊主は、音の正体を突き止めるために台所へ忍び寄った。するとなんと、腰の曲がった徳利(とっくり)が、水瓶の水をごくんごくんと飲んでおるではないか。驚いた和尚が訳を尋ねると、徳利はとつとつと話しはじめた。

 

 

『わしは越後の生まれでな、物心つくころから草鞋を編んで貧しい暮らしをたてておった。それで、気がついてみたら、すっかり年取ってしまっておった。「もうじき死んでしまうだろう。ああ、せめて、今度生まれてくる時には、徳利になって好きな酒を腹一杯飲んでみたいもんじゃ。」と思うたんじゃ。それで、墓の土で徳利を造るという備前の国へ行って死んで、墓の土になろうと思うたんじゃよ。

 

そうして長い旅をして、わしはようやく備前の国に着いたんじゃ。じゃが、ふと不安になったんじゃよ。「そんなに簡単に墓の土になれる訳はない。」とな。どんなことをしても墓の土になり、備前徳利にならなけばならんのでなぁ。そこで、わしは墓に穴を掘り、土を自分にかぶせながら祈ったんじゃ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……』

 

こうして長い年月をかけて墓の土となり、望み通り備前徳利となった徳利爺さんじゃったが、どうしたことかガラクタ市で小坊主に買われ、腹一杯醤油を流しこまれたのじゃった。徳利爺さんはがっかりするやら、しょっぱいやら、どうにも我慢できんようになって、夜な夜な水を飲んでいたのじゃった。

 

和尚と小坊主は『何事も一念をもってやりとおせば必ず望みが叶う』ということを身をもって伝えた徳利爺さんを、この寺の宝として大切にし、いつもお酒を腹一杯飲ませてやったそうじゃ。また、和尚は心を入れ替え、それからは朝夕の読経を絶やすことがなかったという。

 

「出典:日本昔話データベース」