高崎市新町の中山道沿い、武蔵国からの玄関口に建つ「新町八坂神社」は、疫病の侵入とまん延を防ぎ、諸悪から身を護り、長寿を祈願する神社として建立されました。この神社は明治の神仏分離までは祇園社と称していました。一般に祇園社の創立は貞観18(876)年とされており、ご祭神はスサノウノ尊を主神としクシナダヒメノ命とヤハシラノミコ神を祀ります。

 

 

 

「中山道分間延絵図」では、「八坂神社」は「天王」と表記し、寛政五年(1793)~天保五年(1834)に「柳茶屋」のそばに「柳茶屋の芭蕉句碑」建てられたとあります。「延絵図」は、寛政11(1799)年に実地検分されて、文化3(1806)年に完成されたというが、「柳茶屋」らしきものは見当たりません。新町明治百年史によると、「(芭蕉句碑の)建主の湛水は医者で小淵健夫氏の先祖、白水は笛木玄次郎氏先祖で共に郷土の俳人である。(略)明治の末に藤岡市の浅見作兵衛翁が、行楽園の築庭をする時、神流川近い田野に倒れていた碑石を発見し、其の地主から譲りうけ、行楽園の林中に建てたのがこの句碑だ。 浅見翁歿後昭和26年、藤岡市、原歯科医院主・原徳人氏が譲りうけて、氏の庭園に移し、句会を催して愛蔵していた。当町史編纂委員はこれを聞き、町の文化財として永久に新町で保存したい希望のところ、原氏はこの気持ちをよく理解されすすんで寄贈された。(昭和29(1954)年)地元有志の奉仕作業で八坂神社の境内中山道に面して建てられた」 とあります。