高崎市岩鼻町の福聚山千手院「観音寺」は、真言宗のお寺で、本尊は千手観音です。千とは無限、また千の世界を表すともいわれています。手のひらには一眼があり、これで全ての世界を観察し、それぞれの手にある持ち物を使い、すべてを救うとされます。正しくは「千手千眼観世音菩薩」といいます。天上界から地獄に至る、すべての衆乗を済度する観音の中の王「蓮華王」ともいわれています。

 

本尊の千手観音

 

吉川栄佐衛門の墓

寛政5(1793)年 岩鼻代官所(陣屋)が建設され、初代代官として吉川栄佐衛門と近藤和四郎が就任しました。栄佐衛門は19年間この地で善政を行い、文化7(1810)年に69歳で病没しました。現在その墓地は高崎市指定史跡になっています。

 

 

「岩鼻県」と刻まれた墓石

「岩鼻県史生試補  墓」というお墓が、本堂脇道を行ったところにあります。慶応4(1868)年6月17日、維新政府は岩鼻県を創設、県庁を岩鼻代官所跡に置きました。同年9月8日「明治」と改元されました。「岩鼻県」はその後、明治4(1871)年10月28日群馬県が発足するまで、3年4か月間続きました。「史生」とは官吏の職階で判任官(三級管理)の下位の身分で「試補」は見習いのことです。

 

 

題目塔

日蓮宗では「法華経」の正称「妙法蓮華経」に「南無」を冠して「南無妙法蓮華経」の七文字が刻まれた石塔を題目塔といいます。この塔は嘉永6(1853)年に建立されたものです。烏川河原の旧処刑場から移したものと伝承されています。

 

参考資料:岩鼻「歴史マップ」