高崎市台新田町は、元禄16(1703)年の「元禄郷帳」には「栗崎村ノ内台新田」とあり、天保5(1834)年の「天保郷帳」には「台新田村」とあります。栗崎村の枝村であった「台新田」の独立はこの間のことと思われます。小字名に台・台西・台南があります。ここが台地上の地形で、用水を通し新田を開いたことにより「台新田」の名がつけられました。江戸時代からの台新田村は明治22(1889)年岩鼻村の大字となり、昭和32(1957)年高崎市の町となりました。台新田町には岩鼻小学校や忠霊塔があります。

 

 

岩鼻小学校

明治6年の学制発布より、岩鼻学校、栗崎学校が開設されました。その後、明治21年の町村制施行により栗崎に本校、岩鼻に分校を置いています。 明治27年には、岩鼻尋常高等小学校と称しています。 その後、昭和16年に岩鼻村国民学校と改称し、昭和22年には、学制改革により、岩鼻村立岩鼻小学校と改称しました。その後、昭和40年に群南村が高崎市と合併することに伴い「高崎市立岩鼻小学校」となり現在に至っております。

 

 

国旗掲揚塔

校庭内にある「国旗掲揚塔」には、「報本反始」(ほうほんはんし)とあります。意味は「先祖を省みて、その恩徳に感謝し報いること」で、「四書五経」の五経の一つです。

 

 

二宮金次郎像

江戸時代後期の篤農家、二宮尊徳(1787~1856年)の石造です。通称は金次郎と言います。教えに「積小為大」があり、「小さな努力の積み重ねが大きな収穫や力に結び付く」の意です。勤勉・努力の象徴として昭和初期から全国の小学校に像が建てられました。

 

 

忠霊塔

岩鼻小学校の北側に現存している忠霊塔は、日露戦争以後に戦地に残された味方の遺骨を収集・埋納した慰霊碑です。

 

参考資料:岩鼻「歴史マップ」