高崎市東中里町字村内にある「火雷若御子 (からいわかみこ) 神社」は、明治12(1879)年の「上野国神社明細帳」によれば、「当社ハ往昔、那波郡下ノ宮火雷神社ヨリ勧請スト言ヘドモ、其年月評ナラズ、其後保食命ヲ合祭シ村名以テ社号トスト云フ」と記述されています。創建後、途中で中里神社と改称され、同28年に火雷若御子神社と復称されました。祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)、宇気母智神(うけもちのかみ)です。境内には近隣には見られない御沓堂(おくつ)があります。この土地の人々は農耕馬のための雷除けとして、無事に農業が営まれるようにとの願いから、馬を引っ張ってお参りをし、御沓堂に馬のわらじや蹄鉄を奉納しました。今もその一部が残っており、道路沿いに石物・石神等の石造物が並んでいます。

 

 

道路沿いの石物・石神等の石造物

 

参考資料:岩鼻「歴史マップ」