高崎市倉賀野町の大用山「永泉寺」にあるこの墓は、加賀藩御典医森良斉の灰塚です。御典医とは、江戸時代に将軍や大名に仕えた医師の俗称です。森良斉は、加賀藩百三万石の第十二代藩主前田斉泰の御典医で、俸禄は二十人扶持でした。弘化3(1846)年4月の参勤交代で、藩主の侍医として御供道中に加わりますが、途中倉賀野宿において急死しました。4月3日のことでした。倉賀野宿では森家の菩提寺と同じ宗派の曹洞宗永泉寺住職にお願いして荼毘に付し、遺骨は金沢の森家菩提寺開禅寺に埋葬しました。残りの遺灰がここに手厚く埋葬され今日に伝わっております。墓碑銘は、表に「角に橘の紋、加州森良斉灰塚」、右側に「弘化3丙午年4月3日御 供道中、於此駅卒 森良斉 森専良」と刻まれています。