プロフィール: 阿久津町には「神代獅子由来」という変体仮名まじりの巻物がある。昭和7年に梅雲という人が古いものを写し直したもので、仏教の伝来と獅子舞が深い結び付きをもっている事が記されている。三人の上人が書いた絵を彫刻の名人が木彫りとし、宝物庫へ置いたが、京都が大荒れとなったときその獅子達が光りを受け、それを聞きつけた極上興兵衛が三頭の獅子を持って京都の家々を祈祷して歩き大荒れを静めた。その後極上興兵衛の倅、照政という者が苦心して稲荷流という舞を作り、それが阿久津村へ伝来したという。それは大化元乙巳(645)年中秋、孝徳天皇の御代、との記載がある。上野三碑がある土地柄、昔から都との交流が盛んだったのでしょう。

 

   

 

 

阿久津の獅子舞 (平成23年4月20日 高崎市指定重要無形民俗文化財)

流派は稲荷流で、舞は獅子(前・中・後)3人、カンカチ1人、笛吹き数人その他で構成される。曲目は、三拍子・ぼんでん・花吸い・まり・つるぎ・笹がかり・岩くずし・雌獅子がくしがある。

那須の獅子舞(甘楽郡甘楽町秋畑)・藤原の獅子舞(利根郡みなかみ町)とともに県内稲荷流三宗家の一つといわれる。伝承では大化元年(645)に極上興兵衛が舞をはじめ、それが阿久津に伝えられたものという。かつては獅子舞の由来を示す古文書があったが、明治43年(1910)に大洪水にあい流出した。しかし、昭和初期に由来書を筆写したといわれる巻物が伝わっている。                         

「みなみやはたの歩み第5集参考」