高崎市阿久津地区のほぼ中央には万日堂があり、隣接して地元の町内公民館があります。かつては万日堂が阿久津の人々の集会の場となっていたが、公民館が出来てからは公民館が集会の場となった。万日堂は、「上野国緑野郡村誌」によれば元禄年中(1688~1704)に村民共力して建立とある。現在は万日堂というが、人々はお堂あるいは観音堂と呼んでいる。本尊は秘仏の観音様で13年に一度、巳年に開帳される。明治27(1894)年の大火の時にお堂は焼けたが、その際に光を放っている観音様を山口馬市さん(大正11年、77歳没)が水をかぶり持ちだしたという話が伝えられている。現在の公民館はかつてのお堂があった場所に、昭和55(1980)年9月1日に建てられたもので、お堂は公民館を作るときにやや西側に移動した。

 

 

お堂(万日堂)には明治時代から最後の堂守、岩城善妙、おフクさん(明治10年生まれ、昭和29年77歳没)の夫婦が住み、毎年7月15,16日の百万遍には、大数珠をかつぐ様にして、定められた道順を村の隅々まで歩いた。村人は悪病退散を願い、米や麦、お金は2銭から5銭位の喜捨をした。善妙さんが昭和4年に亡くなった後は、おフクさんが供人と歩いた。おフクさんが亡くなった後は、女性信者が毎月18日に万日堂に集まり、掃除をしたり、お経をあげて、お茶を飲んで楽しいひと時を過ごしています。                       

                                                                        (「みなみやはたの歩み」第3集P85より) 

 

 

お堂(万日堂)は、毎月18日が縁日で、年寄りがお堂に集まって、お経を唱えて祀っている。お婆さんが中心で、拝んだ後皆でお茶を飲み、四方山話に花を咲かせる。毎年1月18日が初観音で、講中の人々がお堂に集まって、観音様を祀っている。7月16日は、お堂を中心に行われる百万遍の日で、現在は区長と各組の班長が中心になって村中で行うが、かつては老人が主体であった。鉦を打ち、念仏を唱えて拝む。拝み終わると、昭和60年代までは村中を2日かけて歩いたが、その頃には道端で村人が待機していて、升に入れて持っていた米を一行にくれたものである。

※鉦には「元禄14(1701)年辛巳歳5月18日」「上州阿久津村観音堂願主一誉休念」の銘がある。 

                                                                              (高崎市発行「阿久津の民族」より)

 

万日堂の石造物

二十二夜如意輪観音・御巳待供養塔・百番供養塔・百八十八か所供養塔