高崎市阿久津町にある曹洞宗の寺,大翁山玄頂寺は、慶長12(1607)年信州耳取城主大井政成の菩提のため嫡子政吉が建てたと伝えられる寺、開山は斧翁舜芳大和尚である。境内に火伏せの神として信仰されている秋葉神社があり、延享2(1745)年の秋葉大権現の御影がある。また、この寺には平成6年3月22日指定の高崎市指定重要文化財「康永二年銘五輪塔」(こうえいにねんめいごりんとう)があります。 

 

 

   

 

この塔は、南北朝時代の康永2(1343)年に造立されました。銘文の書き出しの部分に「逆修」と刻まれているので、この塔の造立者が生前に自分の死後の供養を遡っていとなむ逆修塔であることがわかります。高崎市内に現存する五輪塔としては、小八木町妙典寺塔(鎌倉時代)、山名町今井家墓地塔3基(鎌倉時代)に次ぐ古い五輪塔です。しかし、これら4基の五輪塔は風化が著しく、また銘文も無いため、完形で造立年代がはっきりしている五輪塔としては、玄頂寺五輪塔が市内最古となります。

 

   

 

宝篋印塔(廻国供養塔・三界萬霊等)

 

    

 

木部北城(玄頂寺境内)

①遺構の形式:単郭(文字どおり郭がひとつのもの)

②占地状況:北を小流に依存した平地

③築城年代:戦国時代

④築城者:木部氏?

⑤規模(東西m×南北m):120m×110m

⑥現状:寺社境内・その他

⑦残存状況:消滅

⑧残存部分:なし

⑨古文書等の記録:「楓軒文書纂」

⑩その他(発掘調査の有無、地元での伝承等)

 

 

北を小流が流れ、2m程の崖になっている他は、三面とも平地となっている。地形に制約された台形状の単郭である。山崎一は、ここを木部氏の支城と推定しているが、永禄年間の武田氏の倉賀野城攻撃時には、武田方の拠点になったと推定される。

 

参考資料:山崎一著「群馬県古城塁址の研究」上巻