安楽寺は高崎市木部町にある真言宗の寺で、山名山悉地院「安楽寺」といい古くは山ノ上にあって、山名氏一族の菩提寺だったが中世に現在地に移寺したと言われます。資料によると、安楽寺は、山名城が未だ健在の折12代足利義晴治世の大永5(1525)年10月24日群馬郡上中居村、大阿闍梨法印寳祐が末寺を創建開基、元禄8(1695)年3月に山名村字山之上の地より移転し、27年後の享保7(1722)年に当寺建立開山とあります。

 

 

宝篋印塔(安永8(1779))

    

 

「お染久松」お染のお墓

高さ84cmの舟形石塔で、阿弥陀の立像が刻され、その両脇に「一窓貞巡大姉」「元禄十四辛巳年正月廿一」とあり、この墓には、浄瑠璃で有名な「お染久松」伝承があります。「お染久松」とは、宝永五 (1708) 年大阪の商家の娘お染と丁稚久松との心中事件が、浄瑠璃や歌舞伎などに様々な形で脚色された話の通称です。二人の関係は諸説ありますが、近松半二作「新版歌祭文・野崎村の段」が良く知られています。ここ木部の豪商萩原甚右衛門が江戸に出した「いかだや」闍に、お染という美しい娘がおり、奉公人と恋の花が咲いたということで、「お染久松」として当地へ伝えられたのではないかと思われます。昔から木部では哀しき若き二人の悲恋を察してか、芝居の出し物に「お染久松」を使わなかったそうです。また、このお染の墓は「恋愛成就」と「耳の病気に効く」とも言われています。