南八幡地域の地形は、岩野谷丘陵の東端でありここから丘陵は西方に延びている。その丘陵から通称「根小屋七沢」といわれる沢が流れ、どの沢もあばれ沢であった。大雨があれば一気に土砂を押し流し、そのため川底が上がりすべて天井川となってしまった。根小屋七沢とは、北から中之沢、この沢を中ッ沢と呼ぶ。金井沢碑のある金井沢、太夫沢、井戸沢、地獄沢、薬師沢、柳沢である。柳沢の上流には山ノ上古墳及び山ノ上碑がある。また七沢には、太夫沢と井戸沢の間にある小さな立沢を入れて、北にある中ッ沢を除いて七沢とする説もある。

(中ッ沢は寺尾町から流れ出し、わずかに根小屋地内を通るだけなので七沢から除かれるという)

 

 

【中ッ沢川】

県道に沿って右手に連なる岩野谷(観音山)丘陵は、標高およそ200m足らずであるが、この丘陵に降った雨は、短く急な沢(谷)を、鉄砲水となって一気に烏川へ押し出した。この土砂礫が山麓に集積して小さな扇状地をつくった。根小屋の集落はこの上に点在している。

永い年月の間にこの沢は、土砂礫の流出で川底が上がり、周囲の民家よりも高くなってしまった。昔はちょっとした雨でもすぐに川があふれてまわりの民家に被害を与えたが、昭和の戦後、川底をさらってコンクリートの護岸工事をしてから、ようやくその心配がなくなったが、現在は群馬県の砂防指定地になっている。根小屋から山名にかけての約2㎞の間に、七筋の沢が流れ出していて、これを古くから「根小屋七沢天井川」と呼んでいる。

(中ッ沢は寺尾町から流れ出し、わずかに根小屋地内を通るだけなので、根小屋七沢から除かれ、太夫沢と井戸沢の間にある小さな立沢を入れて根小屋七沢とする説もある)

 

 

【金井沢川】

「金井沢川」は、七沢中最大の沢である。金井沢橋のたもとには、特別史跡「金井沢碑」入口の石碑が建ち、沢に沿って1㎞奥に入ると「金井沢碑」がある。

 

 

【太夫沢川】

金井沢川から300m程東進すると、街道の右手にこんもりとした欅の大木が目に付く。ここが「太夫沢川」、太夫沢川の右手はひろびろとして、かつての氾濫原、左手に白髭神社の立木がみえる上信電鉄はその向こうの山沿いを走っている。

 

 

【井戸沢川】

大夫沢川から500m。「井戸沢川」はいかにも天井川という感じである。以前は橋桁下3.8mのコンクリート製の橋げたが、昭和9年から平成8年まで県道の上を横断していた。          

 

    

 

【地獄沢川】

井戸沢川から400m。手前左手に明和6年正月、当社請中と刻まれた道祖神。地獄沢橋脇に、真言宗鹿島山宝性寺の入口が見え、宝性寺西には高崎商科大学前駅がある。地獄沢は、鉄砲水が多くの人命を奪った、地獄のようにおそろしい沢だったに違いない。地獄沢川を過ぎると右手山麓に大きな森が見える。これが鹿島宮。毎年夏になると鹿島の七日火の祭りがもようされる。

 

 

【薬師沢川】

地獄沢川から300m。道端に軽石ブロック積のお堂があって、中に5.6体の石仏が安置されている。これが薬師様で、ここの川が薬師沢川である。山名城は、この薬師沢の奥、標高189.6mの山上に築かれた。そして山名城から、南へ下って「山ノ上碑」に通じている。

 

 

【柳沢川】

薬師沢川から300m。根小屋町と山名町の境、七沢最後の柳沢川がある。薬師沢から柳沢にかけての丘陵は、手前山麓が根小屋分、後方は山名分になっている。

 

 

参考資料:みなみやはたの歩み他