場所: 高崎市山名町土合南八幡小・中学校敷地周辺 

                                          

土合古墳群の位置と概要

市街地の南東約6km、通称観音山丘陵の東南端は、烏川と鏑川の形成する自然堤防と丘陵から流れだす河川のつくる小規模な扇状地地形により微高地となっている。本古墳は扇状地の一つの扇央近くの北東向き緩斜面に所在しており、高崎市立南八幡小学校・中学校を中心とする地域に分布している。標高80~82mを測る。「上毛古墳綜覧」では多野郡八幡村第67号から第72号まで6基の古墳が記載されているが、1989年(平成元年)までの中学校校庭拡張・プール建設工事に伴う調査で3基(土合Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ号墳)、1994年(平成6年)の中学校体育館建替え工事に伴う調査で2基(土合4・5号)の古墳が確認された。

 

 

市立南八幡中学校の北西の一角に所在した古墳で、1964年(昭和39年)に技術科室建設に伴って正門の南側に移築保存されている。

 

【埴輪】墳丘東側では、基壇面の封土根石から40cm前後離れた所で、砂礫の推積にその基部を埋め込んだ状態で埴輪配列が一列に遺存していた。すなわち、石室入口右側壁から右1.3mに男子埴輪(別添図)、さらに右へ60cm前後の間隔で円筒埴輪の基部が2本、男子埴輪、円筒埴輪と配列されていた。また、墳丘周辺には相当量の埴輪片の分布が見られ、埴輪腕、島田髷等々が確認された。

 

 『昭和39・40年度に発掘調査。遺物の一部は同校保管。墳丘は削平(石室は正門前に移築・保存)、群馬県史資料編3の調査墳一覧や日本考古学年報17では綜多野八幡第69号墳とされているが、誤認のため第71号墳に訂正』    土合Ⅰ号墳参考

 

昭和39年8月、南八幡中学校社会科クラブが、群馬大学史学研究室の指導によって発掘調査したものです。石室内部からは刀子(とうす)、水晶製切子玉、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)、ガラス製小玉などが、墳丘のまわりから円筒埴輪と男子像二体が出土した。年代は7世紀前半頃のものと推定されている。

 

       

                                                                                 

2 山名土合Ⅱ号墳(綜 多野郡八幡村70号)

 市立南八幡中学校の西寄りの一角に所在する古墳で、山名土合Ⅰ号墳の南約25mに位置する。Ⅰ号墳と同様に1964年(昭和39年)に群馬大学により発掘調査され、その後、中学校の校庭増設に伴い市教育委員会が石室の再記録化と外部施設の確認を中心に発掘調査を実施している。

 

 

【埴輪】円筒埴輪列が石室入口南から南西部にかけてテラス状部分で出土している。円筒埴輪は2条突帯3段構成の高さ30cm程で、第1突帯付近まで埋め込んでおり、芯々距離40~50cm程で21個体並んでいた。

『1964年発掘。1989年及び1994年発掘。一部削平、主体部は同校校庭に保存』  

 

まとめ 山名土合古墳群は、「上毛古墳綜覧」記載漏れとみられる3基の古墳を含めて9基以上の所在が判明した。このうち、埋葬主体部まで調査されたのは2基のみである。他は周堀の一部調査または未調査のままで削平されてしまって、現状で残されているのは土合Ⅱ号墳のみである。古墳群で調査された5基の古墳は、中学校敷地の北西隅に互いに極めて接近して検出されている。

また、いずれも埴輪が出土し、形象埴輪の種類も豊富で埴輪祭祀の盛行する6世紀後半に時間的にも接近して構築されたものとみられる。

参考著書「高崎の散歩道・古代の遺跡」