―山名地区―

上信電鉄「西山名駅」は、高崎駅から下仁田駅間(33.7km)21駅の6番目の駅です。列車はJR高崎駅構内で最も西側にある0番線ホームから発車し、「南高崎駅」、「佐野のわたし駅」、「根小屋駅」、「高崎商科大学前駅」、「山名駅」の次となります。駅周辺には、県立高崎産業技術専門校やポリテクセンター群馬及び世界の記憶の一つ「山上碑」などがあります。 

この西山名駅は、昭和5(1930)年6月15日 「水泳場前駅」として開業しました。当初、上信電鉄が沿線観光振興策として、近隣を流れる鏑川を堰き止め長さ数百メートルにもおよぶプールを建設しました。往時には週末に実施されたイベントの度に在京の著名俳優なども訪れ、大いに賑わったと言います。しかし、昭和13(1938)年12月27日- 戦時下の自粛ムードを受け、水泳場は閉鎖され、その後に駅名は「入野駅」に改名されました。さらに、昭和61(1986)年12月20日に 駅名が「西山名駅」に改名され現在に至っています。

 

               

 

「往年の山名水泳場」

山名水泳場は昭和5年6月に開設され、鏑川をせき止めたプールの河畔には脱衣所や食堂、クラブハウスが用意され、見張り所、保護所、危険標識などの安全設備も整っていたという。日曜日ごとに新趣向のイベントが企画され、昭和5年7月20日には鈴木伝明、田中絹代など当時の人気映画俳優たち10人が訪れ、来場客は一万人。8月10日には伊勢崎スイカ500貫(約千個)を流す「スイカ流し大会」、8月13日には競泳大会、そして日曜と盆が重なった17日は人気絶頂の女優御子柴初子ほか松竹女優数十名が来場したため2万5千人の人出で大混雑したという。そして、昭和5年のシーズンには「水泳場前停留所」の仮駅が新設され、運賃も高崎から往復大人20銭、子供10銭と特別割引だった。

仮駅は全くのバラックホームで、そこから田道を3町(約300m)歩くと水泳場に付いた、河水はよくすんでいて、河底が砂利で濁らない、二丈位(約6.6m)の深い所もあるが、大部分は泳ぐのには丁度よい程度の深さで、幅は半町(50m)、長さは二丁余り(200m)位あって、3,4百人位はいつでも大丈夫な天然プールだった。また、飛び込み台が3つ、梯子が5つもあって高い断崖から飛び込めるようになっていた。

さらに船が5隻あって自由に乗れ、河原には土俵が2カ所もできていて相撲が取れ、休憩場には麦湯が飲めた。そして電車の発車20分前には予報の鐘が鳴ったという。

昭和6年にはプールの川上に約3000坪の児童遊園地が整備され、ウォーターレストラン、ウェーブスライド、回転椅子、迷路、鉄棒などが整備され、釣り堀やキャンプ場も設けられたと言います。こんなにもにぎわった山名水泳場でしたが、昭和13年に 戦時下での自粛ムードを受け閉鎖されました。 

 

 

    

 

参考資料:「みなみやはたの歩み」第2集、山名水泳場 森田秀策氏筆