―山名地区―

宝積寺は、山名町下東588-6番地にあったとされる真言宗の寺。この寺の設立及び経歴等は不明であるが、木部町安楽寺の末寺とされ、江戸時代末期に火災により焼失し廃寺になった。現在、宝積寺跡とされる場所には、宝篋(ほうきょう)印塔(1773年)・墓石7基(1716年・1758年・1773年・1776年)・石佛Ⅰ躯が現存する。安楽寺が享保7(1722)年に山の上地区から木部町に移寺したとされるので、宝積寺も前後した年代(推定享保元(1716)年頃)に山の上地区からこの地に移寺したと推定される。なお、中世の山の上集落には「五寺堂」があったと伝わるが、宝積寺(推定1716年、山名町に移寺、江戸時代末火災により廃寺)や、安楽寺(享保7(1722)年、木部町に移寺)・心洞寺(木部町)など、少なくとも3寺は、かつて山ノ上にあったという。

 

宝積寺跡地

宝篋印塔 (1773年・信州石工伊藤左衛門)

墓石7基・箱型墓石2基・石佛像1基

 

安楽寺末寺「宝積寺」は、「上野国古義真言宗本末帳」によると、御朱印捨石緑野郡木部村山名山安楽寺は下滝慈眼寺末で末寺四寺のうち宝積寺廃寺とある。その所在地は山名町下東586-6番地、跡地に高さ2.5mの宝篋印塔(安永丙申天(1773)十月吉日願主誠心)信州石工伊藤左衛門作とある。住職墓石も7基(享保丙天(1716)4月11日衣盛・宝暦7丁丑天(1757)乗遍・安永5(1776)年丙天不明・年不詳3月廿4日彷春などがある。

 

根小屋城址跡には「別当山名山宝積寺廿三世法印深慶再建立」「富士浅間社安永二癸巳歳(1773)4月吉日」の石祠がある。

 

根小屋城址の石祠

 

なお、山名稲荷塚古墳丘上に稲荷大明神が祀られているが、もとは宝積寺境内にあったものだという。

 

山名稲荷山古墳のお稲荷さん

 

参考図書:「みなみやはたの歩み」第4集