―山名地区―

八幡山には現在、「山名御野立所跡」の碑、「佐野山」(さぬやま)の歌碑、「石碑の路」(いしぶみのみち)碑そして「筆塚」の4基の石碑が建っています。

 

 

「石碑の路」(いしぶみのみち)の碑         

山名八幡宮から観音山南丘陵地の頂にそって金井沢碑まで続く高崎自然歩道の約4.5kmの路傍に万葉の歌碑44基が設置されています。この「石碑の路」に万葉歌碑を建立したのは、高崎市の建設業、信澤工業株株式会社の二代目社長信澤克己さんです。1基目の石碑が昭和50(1975)年、根小屋城址に建ち、29基目が金井沢碑の入口に建ったのが、平成13(2001)年のことでした。信澤さんは歌碑に自分の名を刻むこともなく、除幕式を行うこともなく、ただ26年間黙々と私費を投じて石碑を建て続けました。昭和61(1986)年には高崎市が、信澤さんの業績を後世に残すため八幡山の御野立所に「石碑の路」の碑を設置しました。

 

 

「佐野山」(さぬやま)の歌碑

旧八幡村当時の小学校教師と有志により昭和11年(1936)10月に建てられた「さぬ山」の歌碑。

 

 

「佐野山に打つや斧音(おのと)の遠(とお)かども 寝もとか児(こ)ろが面(おも)に見えつる」                                           万葉巻14-3473 

大意:(佐野山で打つ斧の音のように遠いけれども、寝ようというのであろうか、あの子が面影に見えたのは。)

この碑文の揮毫者高野辰之は国文学者で文部省唱歌「故郷(ふるさと)」の作詞者として有名です。

 高崎商科大学が設置している信澤克己氏の「佐野山」の歌碑

 

 

「筆 塚」

御野立所の一番小高い所に筆塚があります。裏面に「自然に親しみ美しい故郷の心にふれることが、碑に託した願いです。幸いにして故大沢雅休先生のご遺墨をはじめ、諸先生のご揮毫を賜りました。謹んで深甚の感謝を捧げ、筆塚の辞とします。昭和55年5月5日」と刻んであります。

 

 

揮毫者:大沢雅休 (おおさわ-がきゅう)1890-1953 大正-昭和時代の歌人,書家

明治23年12月17日生まれ。島木赤彦,橋田東声に短歌をまなび,大正12年群馬県で歌誌「野菊」を創刊。上京後比田井天来に書をまなび,昭和13年平原社を結成。作品に棟方志功(むなかた-しこう)との合作「裸振舞」がある。昭和28年9月12日死去。62歳。群馬県出身。本名は雅休(まさやす)。