―山名地区―

山名八幡宮の随神門から二の鳥居をくぐり、拝殿へと続く階段の手前.右側にムクの大木が立っています。この木は陰陽神木と呼ばれ、樹齢三百年以上の大木です。日本の神話の中で、伊邪那岐命と伊邪那美命が天之御柱(神木)を周り、たくさんの御子神を授かったとされています。陰陽神木の周りを回ったり触れたりすると子宝に恵まれるという言い伝えがあります。山名八幡宮の子宝のお守りには、この陰陽神木の葉がモチーフに使われています。 

 

 

    

 

『山名八幡宮の二股大根』

山名八幡宮には、4月、10月の各15日の大祭に二股大根を参拝者の男女がささげたという一つの伝説が残されています。その伝説は、応永年中(1394-1428)に世良田政義がこの館(やかた)に居候していたおりに、後醍醐(ごだいご)天皇の皇子宗良親王(むねよししんのう)の子で伊良親王(ただながしんのう)に政義の娘がそばめとなり親王の子を懐妊したおり、安産をこの山名八幡宮に祈願したところ、ついに男子が御誕生された、これが良王君です。

それから山名八幡宮は安産の守護神、小児守護神といわれ、これを捧げるに根引の大根をもってした。大根を貢ずるのは、このときからで、小児生育のご神護に、大根の根が地上に抜け出したものを選んだのは、知能が世にぬけでて秀でていることを願う意味から出たことで、だれでもが献納したものであるが、二股大根は一本大根より生育が盛んなことは、ゴボウ、ニンジン等の群根育盛のことと同じで、これは栽培学上の真理であるともいわれる。また、二股は女の股を思わせるものがあり陰相類聖のものを祈願に対する報賽(ほうさい)とすることは、性の満足要求の幣物(へいもつ)として、陰相を供する風習が古来から行われており、古くは女神が多く、ことに石器時代人が福助を祈る土偶などは、女神像を思わせるものが多い。また、石器の中に、陽根を表した石棒類似品が多く、これが道祖神に多く見られる。陰根は楕円形の中に、穴を描出すくらいのものもあり、環石有穴物等、みな女陰を神に供えた古来の伝統であり、二股大根献納も同意義の遺風であろうと史家は伝えています。