―山名地区―

上信電鉄「山名駅」(明治30年5月5日開業)は、高崎駅から下仁田駅間(33.7km)21駅の5番目の駅です。列車はJR高崎駅構内で最も西側にある0番線ホームから発車し、「南高崎駅」、「佐野のわたし駅」、「根小屋駅」、「高崎商科大学前駅」の次に「山名駅」となります。駅周辺には、「山名八幡宮」や高崎自然歩道「石碑の路」、世界の記憶の一つ「山上碑」などがあります。

 

 

この鉄道が創立されたのは明治28(1895)年12月で、創立当初は「上野(こうずけ)鉄道」という名称でした。開通は明治30年で路線は高崎下仁田間、延長20哩50鎖、建設費用が57万3916円、停車場は高崎、山名、吉井、福島、富岡、一ノ宮、南蛇井、下仁田の8カ所で、軌道幅員二尺六寸(約79cm)の単線蒸気鉄道だった。 操業当時はイギリス製の小さな蒸気機関車が26人乗りの客車と貨物を連結して、高崎から下仁田間33.7kmを約2時間30分で走っていたそうです。 その後、大正10年9月1日に上野鉄道株式会社を上信電氣鉄道株式会社と名称変更して、電化工事と軌道の拡張工事を行い、大正13年12月15日に全線が電化開通した。

昭和9(1934)年、陸軍特別大演習において、決戦の地に山名駅周辺が選定されたことから、昭和天皇が乗降された。駅名の由来ともなった「山名」は、室町時代に西国で栄えた山名氏発祥の地です。山名駅は山名一門を祀った山名八幡宮の門前駅としての一面を持ちます。昭和39年には上信電鉄に名称変更になった。(上信の名は、上州(群馬県)と信州(長野県)を繋ぐ願望で名付けられた)

 

 

迎光碑(陸軍大演習行幸記念碑)

昭和9年(1934)年11月13日、ここ山名町で陸軍特別大演習が展開され、昭和天皇が全軍を統監するため東京からお召列車に乗り高崎駅経由で山名駅に到着したことを記念して建てられた迎光碑です。 

 

 

出典:南八幡郷土史「みなみやはたの歩み」