ある時、都で暮らす一家が田舎のほうから娘を迎える事になりました。

両家で何回か細かい相談をして、結婚式の日取りもめでたくまとまりました。

しかし当日になり、都の一家の主人は占い師のもとへ行き、祝い事にふさわしい日かどうか念のため占うことにしました。

 

 

依頼された占い師は、今日結婚するにもかかわらず、当日になってそれが良いか悪いか占ってくれとはどういうことだと怒り、一つ邪魔をしてやろうと考えました。

そして、難しい顔をして「今日の星の動きは占いごとに適さないので、明日にしたほうがいいですよ」と適当に答えました。

男は占い師の話を聞くとすっかり田舎の人との約束を果たす気を無くしてしまい、結婚は一生の問題だから、占い師の言う通り良い日であるといわれた明日にすることにしました。

さて、田舎の娘の家では朝早くから結婚式の支度に大わらわでした。

人を集めて部屋を清め、念入りに掃除したり様々なご馳走を用意したり、都に持って行く荷物をまとめたりと忙しく働いていました。

娘も、化粧をして美しく着飾り、ようやく昼近くになっていつ都の人がやってきてもよいように準備が整いました。

しかし、いくら待っても都の人が来る気配はなく、とうとう夕方近くになってしまいました。

田舎の人はすっかり都の一家のだらしなさにあきれ、かねてから娘を嫁にしたいと望んでいた同じ村の男に、その日の内に嫁入りさせてしまいました。

 

 

その翌日、占い師の言葉を信じ切った都の男は今日こそは良い日だと、朝早く一家そろって村へやってきました。

しかし、娘はすでに他の男へ嫁に行ってしまっていました。

それを知った男は驚き、「娘をくれると約束したじゃないか」と怒りを爆発させました。

それを聞いた村の男は、「あれだけ念入りに相談しておきながら、相談もせず勝手に変えてしまうとはあきれたもんだ」と反論しました。

男は占い師の話をして、今日が良い日である事を伝えたのだが、一日中待ちぼうけをさせられた村の人は決して納得しなかった。

男は「一日くらい遅れたからといって、前もって約束した娘を他にやるなんていい加減なのはどっちだ」といい、とっくみあいの喧嘩になってしまいました。

この様子を、通りがかった名高い博士が見つめていました。

そして、大きな声で、「星の動きなんかより、娘を迎える事実の方がよっぽどめでたくて良い事だと思う。それを行う日が最良の日である。今日は良い日だそうだが、つまらない喧嘩をしているのを見ていると、とても良い日などとは思わない」と笑いながらいいました。

都の一家は自分たちの身勝手な行いから占い師を怒らせ、またそのために娘をもらい損ね、あげくの果てに大喧嘩を引き起こして顔や手足にあざや傷を作り、すごすごと引き上げていったのです。

 

 

この話は、占いや日の吉凶に惑わされることの愚かさが述べられています。自分の都合ばかりを押し通すことで、他者に迷惑をかけ、諍いを起こす原因をつくってしまうことは、私たちの生活にもよくあります。占いなど、気にしないと普段は思っていても、人生の大きな局面を迎えた、何かに行き詰まったりすると、つい占ってもらいたくなることが、私たちには多いのではないでしょうか。しかし人生の大事な選択は第三者に助言を求めるべきだが、あくまでも助言です。何を選び、何を避けるかの最終決定者は、他ならぬ自分自身です。選ぶことに責任を負うことが必要ですという話です。 

 

参考文献《物語は、「南伝大蔵経」の説教をアレンジしました。イラストは、インターネット上に掲載されているフリー画像を使用しています》