平成305月より『山上碑』の覆屋に「日本語」及び「英語」による解説放送機器が設置されました。
 
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山上碑覆屋               山上古墳
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【日本語放送解説文】
 山上碑(やまのうえひ)は 飛鳥時代の天武天皇 10年 西暦681年に 放光寺(ほうこうじ)というお寺の僧である 長利(ちょうり)が 亡くなった母親「黒売刀自」(くろめとじ)のために建てた石碑です。
 完全な形で残っているものとしては 日本で最も古い石碑です。
 輝石安山岩(きせきあんざんがん)の自然石でできており 高さ111センチ正面の平らな部分に 縦書きで4行 53文字が記されています。
 自然石をあまり加工せずに使用しており 古代朝鮮半島 南東部にあった国 新羅(しらぎ)の石碑に 似ているものがあります。
 碑文には  放光寺の僧 長利の両親の系譜も 記されており 母親は 古墳時代 ヤマト政権の直轄地である「屯倉」(みやけ)を治めた豪族の子孫であることがわかります。
 前橋市総社町にある 山王廃寺で 「放光寺」の文字を刻んだ瓦が発見されたことなどから 長利がいた放光寺は この山王廃寺であると 推定されています。
 放光寺は 東国有数の大寺院であったといわれ 仏教は 先進的な技術や文化を伴って伝わったことから 長利はかなりの知識人であったと 考えられます。
 山上碑には 長利が母である黒売刀自を供養するとともに 上野国の有力豪族の子孫であり 大寺院の僧でもある自らの存在を 後世に伝える目的があったと考えられています。
 碑文は すべて漢字で書かれていますが 日本語の語順で読むことができます。現在につながる 日本での漢字の使い方を見ることができる たいへん貴重な史料でもあります。
 山上碑からは 中国大陸や朝鮮半島から伝わった石碑文化 漢字文化や仏教信仰が 日本の古代社会に根付いていく様子を 知ることができます。
 山上碑は 東アジアの文化交流の様子を示す 重要な歴史資料として 1954年に 特別史跡に指定され 2017年には ユネスコ「世界の記憶」に登録されました。
【約3分】約700字
山上碑
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  Commentary Yamanoue  Stela
 The Yamanoue stela, erected in 681, is the oldest stela that remains standing in Japan.
 According to its insecroption, Priest Chorierected the stela in memory of his mother.
The inscription notes his matrilineal and patrilineal ancestors which suggest he wanted
 to express his pride in being the priest of a major Buddhist temple and also a descendant of such influential families.
 This stela documents how Buddhism and the Chinese writing system were adopted
and  accepted by Japanese society in ancient times.
 Due to its  outstanding value in confirming the
transfer of cultures within Eastern Asia, the
Yamanoue  Stela was designated in Japan as a Special
Historic Site in 1954, and recorded on the UNESCO
register of Memory of the World in 2017.