上毛三碑 №3
 多 胡 碑 を訪ねる  
  1954年(昭和29年)国指定特別史跡               所在地:高崎市吉井町池1085
                                                       
 
 那須国造碑(700年、栃木県)、多胡碑 711年)、多賀城碑(762年、宮城県)は日本三古碑 と呼ばれています。    
  また、山上碑681年)多胡碑(711年)金井沢碑726年)は上野三碑 と呼ばれています。
 多胡碑(今から1302年前)は、上野の和銅4年3月に片岡、緑野、甘楽の3郡から新たに多胡郡を創るという開郡の記念碑であり、漢字80字を6行の石碑に彫った碑です。
 

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        胡碑周辺の樹木                       多胡碑周辺案内図
 
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         多胡碑覆屋周辺                         多胡碑説明版
 
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          多胡碑覆屋正面                       多胡碑覆屋内部
 
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  1、上から笠石・碑身・台石からなる。
  2、高さ1.26m、幅と厚さ約0.6m
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        多胡碑                         多胡碑拓本
 
       ※(碑の形状は新羅の新羅雲嶺碑(568年)や北漢山碑(568年)に類似している。) 
 
                        【銘文】
                        弁官符上野国片岡郡緑野郡甘
                        良郡井三郡内三百戸郡成給羊
                          成多胡郡和銅四年三月九日甲寅 
                        宣左中弁正五位下多治比真人
                        太政官二品穂積親王左太臣正二
                        位右上尊右太臣正二位藤原尊
 
[読み方]  (多胡碑のアナウンス文より)
 弁官符(べんかんふ)す。上野國(こうずけのくに)片岡郡(かたおかのこおり)・緑野郡(みどののこおり)・甘良郡(からのこおり)(あわ)せて三郡(みつのこおり)の内、三百戸(さんびゃつこ)を郡(こおり)と成(な)し、羊(ひつじ)に給(たま)いて多胡郡(たごのこおり)と成せ。和銅(わどう)四年三月九日甲寅(きのえとら)に宣(の)る。左中弁(さちゅうべん)は・正五位下(しょうごいのげ)多治比真人(たじひのまひと)。太政官(だいじょうかん)は・二品穂積親王(にほん ほづみのみこ)、左太臣(さだいじん)は・正二位(しょうにい)石上尊(いそのかみのみこと)、右太臣(うだいじん)は・正二位(しょうにい)藤原尊(ふじわらのみこと)なり。
 
[現代語訳]
 朝廷の弁官局から命令があった。上野國の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡 を作り、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四年(711年)三月九日甲寅。左中弁・正五位下 多治比真人による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左太臣・正二位石上(麻呂)尊、右太臣正二位藤原
 (不比等)尊
 
 

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           多胡碑記念館                    多胡碑公園内南高原1号古墳
 
          
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     羊について:「羊太夫伝説」ブログ2013年6月24日号
     七輿山伝説 羊太夫を参考にしてください。
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