US マリーンに入隊をトライしたが。 | gozira hunterのブログ

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米国で、オレ達のような日本人が米国永住を決めて、なんとか頑張って仕事をしていると、いろんな問題に直面する。

そしてだれでも一度は永住権の問題や国際結婚でのトラブルなどなど。エリートサラリーマンなどは、会社などが面倒を見てくれるが、ふつうの日本人は学校までは学生ビザで滞在できるが、学校が終わったらビザが切れるから、そこからが一つの壁にぶち当たる。

 

 

アメリカ人と結婚する(市民権を持っている相方と)そうすれば永住ビザが取れる。こっちのカレッジに行ってる頃、卒業が迫ってきた。北カリフォルニアの小さなカレッジに行っていたので、学生に柔道などをしばらく教えていたので、いい顔だった。

ここではオレ達のように歳を食った20代半ばの学生はほとんどがベトナム戦争からの帰還兵連中が多かった。それらが歳が同じくらいなので、元兵隊と付き合っていた。学校に来るのにバンダナを頭に巻いて、ミリタリージャケットを来て、ロングヘヤーで髭を生やしていた。学校が終わってねぐらに帰ると、マリワナを吸っていたな。

 

 

彼等が言うにはベトナム戦争で怖いのは、田んぼの中を行軍の時、足が田んぼの泥濘に取られて走れない、 逃げても隠れるスペースがない、そこをベトコンに銃撃されれば、死傷者が必ずでる。それと竹藪の中の行軍だと言っていた。竹は銃弾が当たると弾き返すので、行軍していると兵隊がパタ、パタと跳ねた弾が当って倒れるそうだ。この2つが最も怖いと ファック だ。言っていたな。そういった神経戦がベトナム戦争には多かったらしい。そんなわけでマリワナでも吸わないと神経が持たなかったようだ。

 

 

実は私めこの短大を卒業してから、姉妹校の4年生の大学に行く予定だったが、金がない。仕送りなどゼロである。

そこでアメリカの軍隊に入ればGIビルがもらえる。ガバメント イッシュー 軍隊を出れば、3ー4年はかかるが、学費は無料で生活費までもらえるいいシステムが米国にある。しかも市民権がもらえる。運が悪ければ、戦場で死ぬか負傷するだろう。

ヤングマンは物事をポジテイブに考えて軍隊に入ることを決定した。

 

学校にある日、二人の海兵隊のリクルートがテーブルを出して、白い制服をビッしと着こなし、背筋をピンと伸ばしてそわっている。

 

よし  オレは海兵隊に入る。テーブルに近づき、、、、入隊しますと言った。

 

二人のうちの一人がオレのやつれた顔を見て、、、ハウ オールド アー ユー?  と言った。 27歳です。

確かに海兵隊 マリーン の最高齢の入隊制限は27歳と聞いていたから、ギリギリに入れると思った。

 

 

 

そしたら、海兵隊リクルーターが、いとも簡単に言ったもんだ。  ユー アー ツー オールド  と言われた。

フアック  と、こっちがいいそうになったな。あと2−3年若かったら青春の人生経験ができただろうに。

 

 

 

戦争映画 ベスト10    FULL  METAL JACKET これを興味ある人は見てください。軍隊のトレーニングから実戦まで、よくできた面白い戦争映画ですよ。

 

 

 

 

この頃はアメリカ生活のうち最も金のない頃で、毎日ご飯に卵をかけて食っていた。1日2食、筋肉モリモリ65キロあった体重が53キロくらいになってしまった。もうボクシングならバンタム級だ。この食い物が豊富なアメリカなのに貧乏学生はまともな食事すらできなかった。

 

 

余談だが、この頃もう1人の日本人の若者が同じ学校にきた。シゲル ちゃん。ある日、田舎の学生がオレに聞く、、? 日本人と中国人はどこが違うのか?   などと聞く。  このカントリーにあるカレッジにも中国人の学生が7〜8人いた。アメリカのどこにもいるのが、中国人とイラン人だった。そこでよく見ろ、あそこに中国人がいるだろう(中国人はいつもグループで行動している)。 彼等に筋肉がついているか? ない、、、オレを見ろ  彼奴等に髭が生えているか ない  見ろ全然違うだろう、

そんな事が通じる田舎の学生だった。その学生が  シゲル がいるだろう  あれは日本人だろう。彼は筋肉もないし、髭もない。   ハハハ、、、、あいつは ハーフ コリアンだ。それからシゲルちゃんが、来て文句いっていた。そんな事を言ってもらっては困る。 でもシゲル 筋肉も髭もね〜もんな、、、それから 彼に頼まれて、まず基礎体力をつけるためジムに連れて行って毎日筋肉トレーニング、彼は金はあったのでドミトリーが食い放題なので、アメリカ人の倍食って、ミルクをガブガブ飲んで、みるみるうちにキン肉マンになっていった。ある日、肩から包帯を吊っている。どうしたんだ? と聞いたら、バカの学生が厚い板を持ってきて日本人なら空手やってるから、これ割れるだろう、と。 おりゃ〜 と叫んで シゲルちゃんは手刀を振り下ろした。バッキ と音がした。

 

 

板は割れず、自分の手の骨を折ってしまった。その話がカレッジ中に広まり彼は有名になった。しかも彼はその後サンフランシスコにある、海兵隊のリクルートへ行ったが、ベトナム戦争が終わったので、入隊できなかった。それからサンノゼのカレッジを卒業して、現在コンピューターの会社の仕事をしている。ボーナスだけで1億円もらうそうだ。彼の仕事はカウンセラーのようだ。いくら稼いでいるか知らないが、今でも現役のコンサルタントらしい。週3日ゴルフして、3日ジムに行って、オイ いくら稼いでいるんだ、、ハハハと笑っている。

 

 

彼が今でも言うね、北カリフォルニアのカレッジに行ってる頃、、、いつもキッチンもないボロホテルで卵ご飯2人で食っていたね、、そんな青春の一ページでした。