アメリカ人を相手にビジネスをやっていた頃と、アメリカ忍者と。 | gozira hunterのブログ

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アメリカに長年住んでいて、アメリカ人相手にビジネスをやっていたが、最初の頃はオレは白人じゃ〜ないから、偏見や差別があるんじゃ〜ないかな? なんて思っていたが、もちろんここは日本じゃ〜ないんだから、あっても普通だろう、、とも思っていた。

 

もちろんあるにはあるんだが、射撃ツアーを始めた頃、射撃場(ガンレンジ)の数人のベテランメンバーが、オレ達射撃場のメンバーは趣味で射撃をやっているが(金儲けの場所ではない)、タカハシは金儲けでこの射撃場を毎日のように使って金を稼いでいる。こんな事は良くないから、この射撃場を使わせるのは辞めにしよう、という事になりメンバー30人くらい集まってミーテングが1日開かれた。しかし、ここはアメリカだ。大げさに言えば民主主義の国だ。反対派が多数であるが、賛成派も少なかったがいる。

 

そこで私も考えた、反対派の前でどういったスピーチをすれば、反対派に納得してもらえるか? 一晩考えて結論を出した。

 

 

当時ガンレンジの永久会員は年間100ドルの会費。たぶん金の事を言ったら、インパクトを反対派に与える事ができるだろうと。

 

まず反対派のスピーチが数人やったあと、私めの出番となった。そして説明をした。

 

 

現在このレンジにつれてくる日本からの観光客は年間約千人以上(その後80年代から90年代にかけて集客は3000人から

40000人年間日本から射撃に来ていたが、その頃はまだ70年代後半で年間千人くらいだった。この頃の射撃場の入料場は1人10ドルだった。

10ドルかける1000人、年間1万ドルの金をこの射撃場に払っている。一般客に例えれば千人分、この頃の1万ドルは相当の価値なのだ。あちらのメンバーでもせいぜい20数人、たったの年間2000ドルだ。あとは平日はお客はぱらぱらくるだけ。

文句あるか? とわ言わなかったが、そんなことを中心にみんなの前で一席やってやった。その後、友達の現役のポリスマンが、私の主催しているツアーはいかに、セーフテーをしっかりやり、まったく問題なく射撃をやっているか、、云々やってくれたので、結果、、OKとなりしばらくやっていたが、この射撃場は近所に住宅が建ち始めてクローズしたが、私に文句をつけていたマネージャーのいやらしい奴から、電話があり、こんど新しく室内射撃場を作りたいのだが、出資してくれないか?と連絡があった。ふざけるな、さんざ、ケチをつけや〜がって、けっきょくそのレンジはその後、なくなった。

 

 

 

それと、前のブログに書いた、日本からの大量の中古銃も80年代前半に輸入してガンショーのデーラーなどに売っていた頃は、デーラーの相手はほとんど白人のビジネス マンだった。

そんな中日本人の私は多分、日本人では当時初めての日本人デーラーだった。あの商売人の中国人もいなかった。銃器ビジネスは白人の仕事であったのだろう。日本から中古銃を輸入してバンバン売っていたので、1年も経たないうちに、いい顔になった。

 

 

時代の流れでガンショーは下火になってしまったが、現在日本刀をアメリカ全土から集めて、買ったり売ったりしている男がガンショーで頑張っている。彼も凄い、いつも在庫の日本刀1000振り以上持って、修理から。鞘まで全部自分で作る。この男アメリカにきてから、 サンフランシスコ忍者スクール をやっていて、武道の先生でもある。しかしギターもうまい、バンドも持っていて、もっぱら  オールデーを白人の仲間と一緒にやっている。全員彼の忍者スクールの弟子だ。奥さんは白人(忍者スクールの弟子)彼女は日本刀も使い、時々振り回している。彼の名前は 星野 ナカハル 性格のいい面白い男で、アメリカ在住では珍しい奴だ。

 

 

 

下の写真はベイスポの今週の人。インタヴュー。記事は2008年9月28日。

 

 

 

 

 

ガンショップをやっていた頃。High Bridge Arms.

 

 

 

 

 

 

まったく、月日の経つのは早いな。1981年に生まれた次女が、ベビーでした。

 

 

もうこの2人の娘に、けっこうアドバイスを受けて、生活するようになりました。ハイ。