母国に帰らないシナ人と、日本へ帰ることばかり考えてる日本人と。 | gozira hunterのブログ

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ここアメリカは、とくに私めの住んでいるサンフランシスコは、もうシナ人がガンガン増え続けている。その逆が日本人でどんどん減っている。

 

ひと昔まえのここサンフランシスコの良い小学校で日本語も教えるクラレンドン小学校というの我が家のすぐ近くにあり、ここでは日本語の他に日本の学芸会や運動会や、いろんな日本の学校のような催しものがあり、人気のある小学校で、日本人の子供や日本人のハーフなどがたくさん来ていた。うちの子供が通っていた頃は、もう30年以上も前の話で、その頃は日本からいろんなビジネスの会社や商社マンなどの駐在社員などの、まだ日本人がたくさんいた時代だった。偶然に買った家がこの日本人や日系人に人気があった学校までたった3ブロックで歩いて5分もかからなかったが、普通の奥さん連中たちは車で30分以上も通学にかかる子供の送り向かえをしていた。

 

 

それが現在では日本人らしきアジア系の子供は少なく白人などが多く、日本人以外のいろんな子供がグラウンドで遊んでいる。もうここでは日本人の両親の子供などはほんの少しきりいない。時代はどんどん変わっていく。なんせ家の近くなので毎日犬を連れて散歩に行く、、ある日 子供を捕まえて  ここの学校は今でも日本語を教えているのか? と聞いたら、教えている と言っていた。

 

ある日、上の娘が萎れた顔をして学校から帰ってきた。どうした? と聞くと日本から来ている子供たちは、皆お母さんの造ったきれいな弁当を毎日持ってきて食べているが、家のお母さんは日系4世だから毎日同じサンドイッチと果物、ミルクとなにかのスナック。

そうか、、何が食いたい、オレが造ってやる、、、というと オクタポス(タコ)ソーセージが欲しい、、、よし  その日 赤っぽいソーセージを買ってきて、ソーセージの半分にナイフで切れ目を作りフライパンで焼くと切ったところがくるりと巻上がり、けっこう格好悪いがタコの大ぶりの足ができた。ついでに海苔をちぎって目もつけてやった。それを4−5本ランチボックスに積めてやった。彼女はそれを持ってご機嫌で学校へ行った。マイ ダデイ メイド イット 、、、、なんて言って日本から来た友達に見せて自慢できたのだろうと想像した。

 

 

クラレンドン小学校から、頭のいい真面目の子は、高校はロウエル高校、それからUC大学、バークレイ、LA, デービス、などへ行く。医学系はサンフランシスコとくる。では頭の悪い子はどうする、高校卒業して、USアーミーが相場だろう(元気が良ければ)。

 

 

話が少し飛んだが、シナ人(中国人)は半世紀も前にアメリカへ来た頃は、現在の中国は一般の人達は海外旅行などできなかったから、その頃は香港やマカオ、台湾などからアメリカに移民したのだから今ほどひどくはなかったが、その後、中国本土からの移民が80年代ころからどんどん増えている。今ではここサンフランシスコなど半分とはいかないが35%以上いるんではないだろうか。今ジムに行っているが、もう中国人が半数以上は占めている。1人でいる時は大人しいが、ジャクジーなどでシナ人のおばさんなどが5−6人集まると、もう中国語(広東語)でアイヤー、アイヤーと、もううるさいこと、常識などまったくない、もう中国の下町のおばさんは、ガキ共も連れてくる。もうサンフランシスコの一部は中国だ。

 

昔アメリカに来た頃、毎年歳の暮に日系人がやっている饅頭屋で正月用の餅を造って販売していたが、そこでアルバイトをしていた。時々柄の悪い日系2世のオヤジがやって来て言ったもんだった。   シナ人ネズミと同じよ ほっとけばどんどん増えるよ  と言っていた。

 

この親父悪いこというな〜と思ったが、現在彼の言っていたことが、、本当になった。

 

 

そうです、日本国も今のまま平和ボケでぼけ〜としていれば、どんどんあらゆる手を使ってシナ人がガンガン増えるでしょう。

 

友達のチャイニーズ(シナ人)もう昔からの友達で一緒にアラスカへサーモン、ハリバット(オヒョウ)、メキシコでイエロー テイル(ブリ)など一緒に釣りにいったが、彼と語学学校で、オレ達英語はほとんど喋れなかった。その友達が今では立派な家に住んで、年金は夫婦合わせて月給が7500ドル、貸家も3軒持っている。日本人と違うところは彼らは極貧の生活を送っていたマカオへは一度も帰ったことがないし、いい思い出など彼等にはない。金を稼ぎ不動産を買って財産を築いた。こういったシナ人は生まれ故郷など全く魅力がないのだろう、帰らない。

その反対が日本人、皆毎年のように余裕さえあれば日本へ帰る。これでは金がたまらないな〜家どころかコンドも買えない、金が残らない。シナ人とまったく逆だな。でも日本国は魅力のある国なのだ。その友達には姉サンも母親もニューヨークにいる。こう魅力のない生まれ故郷には帰らい。

 

 

うちの会社でも述べ20人くらいの社員が日本からやってきて働いていたが、2人を除いて皆日本へ帰ってしまった。アメリカで頑張って、、、なにかやるのは、、、いないのかな、又は少ない。   それでも2人残ったが、貧しい出の青年だったが、1人が癌で死んで、もう一人は今どこにいるのかわからない。

 

 

 

 

 

 

今宵はうちの奥さんが作った レザーニア でございます。もう1品はアメリカで生産されてるソーイ ビーン(枝豆)です。

 

 

 

枝豆とウイスキーは合わないな。やっぱりビールかな。